天台宗について

法話集

No.114四恩

 私たちは、朝起きてから夜寝るまで、五体満足ならばなおさら、一日という時間を何気なく過ごしてしまってはいないか。ましてや、社会生活を一人で送るようになれば、自分一人の力で生きている錯覚さえ感じることもあるだろう。しかし、私たちがこの世の中に生きるためには、いくつかの要素が必要であろう。

 先ず第一に父母の恩。文字通り生まれてより長く成長を見守ってくれている両親への感謝。次に衆生の恩。衆生とは生きとし生ける全てを表す。三つ目に国王の恩。国政を担い我々が安心できる国作りをする長を示す。最後に三宝の恩。三宝は仏・法・僧(尊き存在とその教え、そしてその教えを信じる同志)を指す。これらのことは「心地観経」の中に示される内容だ。

この四恩を常に心に持ち生きてゆくことは非常に難しい。年を重ねるごとに人間関係が複雑になり、全てに対して心からの感謝を表現することはそうたやすいことではない。地域社会が家族同様であった昔は過ぎ去り、人々の希薄な関係は家族間にも及んでいる中で、それぞれが抱える苦しみ・怒りを心に封じ込め生きている人々が、先の恩恵に対して素直になれない状況?理解しがたい状況もあるだろう。

 話はかわるが近年、小生が住むところが湖を望む景色が良いこともあって、親戚が集まり地元の花火大会を鑑賞することとしている。夕食後に、一同花火に夢中になっている中、食事の片付けを行っていると、甥っ子が手伝いにきた。子供は花火が始まると最初だけが楽しみで大概はぐずるもの。ご多分にもれずかと思いながらも手伝ってもらうこととした。私が「手伝ってくれてありがとうね」というと「早く花火が観たいしね」と彼は笑顔で答えた。彼の返した言葉の意味が不可解だった私は「花火を観てきたらいいんだよ」と返事。すると彼はこう返答してくれた。

「早く終われば、おじさんといっしょに観られるよね!」

ハッとした。人として完璧な返事だ。勿論親戚同士仲良く、家族同様と思っているが、彼の言葉は、人への思いやりから出た一言であり、そこには何の見返りもない純粋な心を感じた。その思いやりに嬉しさと心が洗われる思いだった。少し大げさかも知れないが、四恩とはこういう日常にある出来事の中に、自分が生まれて今日を生きる全ての事項に感謝するものではないか。

 自分が存在すること。それは自分一人では決して報いることのできない多くの人々から恩恵であり、すべてに感謝の念を持ちながら日々を大事にしたいものだ。

(文・青木円学)
掲載日:2013年09月01日

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