天台宗について

法話集

No.108震災から二年を振り返って

 東日本大震災より三年目を迎えようとしておりますが、宗務庁当局、延暦寺をはじめ、全国の方々からいただきました温かい援助に厚くお礼申し上げます。
 福島の浜通りでは津波と放射能、中通り等では放射能は未だに治まらずにおります。
 私の寺は原発より50キロ以上離れた伊達市にありますが、市内でも地域により千差万別のありさまです。それは、3月14日の爆発時の風向きにて同じ市内でも放射能の値に大きく差が出たのです。しかも国の対応が遅く、一番放射能の高い浪江町の津島に多くの人が避難をした事などは国の対応に疑問を感じさせられます。
 しかし、こんな中で福島仏青の活動はすばらしく、毎週木曜日を活動日として、大津波と放射能の被害を受けた浜通りの方々へ手を差しのべ今でも活動を続けているところです。
 さて、50キロ以上離れた伊達市では放射能により生活面が変わったが、当初は何の情報もないので対応もありませんでしたが、だんだん現状がわかるにつれ、小さな子がいる家庭では安全な所へ避難をさせたり、外に出さないなど対応しながら、今でも健康に影響がないか心配されているところです。
 現在では、学校などは除染がなされ、校庭に放射能測定器が設置され、外遊びも可能になりましたし、廃校になった体育館が屋内運動場や遊び場として整備がなされ、解放されています。
 さて一方、一般家庭、特に農家の現状ですが、当地は干し柿やキノコ(椎茸、舞茸等)の産地として全国に出荷していましたが、生柿で100シーベルト以下でも、干すと3倍以上になり出荷停止です。キノコもまた山林に原木を置くと300シーベルト以上になり、他県より安全な原木を買っても、露地に置くことができず設備が必要になり、しかも風評被害で値も下がり、生産者は踏んだり蹴ったりの状態であります。しかもその他の野生のキノコ類、山菜(ワラビ、蕗、タラの芽)、筍、梅、柚なども出荷停止となり、生活に大きく影響を与えています。主産物である米も同じ市内でも、作付けが制限されているところがあり、農家でも米を買うような現状です。ただ、地震による被害は農協の火災保険に地震も含まれていたので、ほとんどの家庭では修理ができたようです。当寺も一丈五尺の観音様が倒れて破損しましたが、おかげで修理ができました。
 こんな中ですが、全国からの励ましを受けて住民が一つにまとまり、助け合っていく事が大事と痛感させられる今日この頃です。
 昔から寺は、地域の中心であり、住民の方々と力を合わせることが住職の役目とも考えているところです。

(文・大石清海)
掲載日:2013年02月13日

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