天台宗について

法話集

No.90有頂天(うちょうてん)

 「人が喜びや得意の絶頂にいて我を忘れている状態」や「物事に熱中し他を顧みない状態」にあることを「有頂天」と表現しますが、この「有頂天」という言葉は元々、仏教の世界観が語源です。
 まず、仏典における「天」はサンスクリット語のdeva(本来輝くもの)の訳で神を意味すると同時に神が住む場所(天界)をも意味します。
 古代インドの僧侶、世親(せしん・ヴァスバンドゥ)が著した『倶舎論(くしゃろん)』によると、「有頂天とは三界(さんがい)の最も上に位置する天(処)」のことを指します。三界とはわれわれ衆生が生まれて輪廻する三つの迷いの世界のことで、生きものが住む世界全体のことを指し、下から「欲界(よっかい)」「色界(しきかい)」「無色界(むしきかい)」に分かれています。
 一番下の「欲界」は食欲・淫欲・睡眠欲の本能的な欲望に支配される生きものの世界で、下から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の「六道(ろくどう)」で構成され、さらに天は六つの世界に分かれ、下から四大王衆天(しだいおうしゅてん)・三十三天(さんじゅうさんてん)・夜摩天(やまてん)・覩史多天(としたてん)・楽変化天(らくへんげてん)・他化自在天(たけじざいてん)と呼び「六欲天(ろくよくてん)」といいます。
 次の「色界」は「欲界」の上にあり、欲望は超越したが、物質的条件(五蘊(ごうん)のうちの色蘊(しきうん))にとらわれた生きものの住む世界で、下から初禅(しょぜん)、第二禅(だいにぜん)、第三禅(だいさんぜん)、第四禅(だいしぜん)の四つの世界で構成され、初禅には梵衆天(ぼんしゅてん)・梵輔天(ぼんほてん)・大梵天(だいぼんてん)、第二禅には少光天(しょうこうてん)・無量光天(むりょうこうてん)・極光浄天(ごくこうじょうてん)、第三禅には少浄天(しょうじょうてん)・無量浄天(むりょうじょうてん)・遍浄天(へんじょうてん)、第四禅には無雲天(むうんてん)・福生天(ふくしょうてん)・広果天(こうかてん)・無煩天(むぼんてん)・無熱天(むねつてん)・善現天(ぜんげんてん)・善見天(ぜんけんてん)・色究竟天(しきくきょうてん)があり、これらを「色界の十七天」といいます。
 最後に最も上の「無色界」は欲望も物質的条件も超越し、五蘊(ごうん)のうちの色蘊(しきうん)を除く受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の四つの構成要素からなる精神的条件のみを有する生きものが住む世界で、下から空無辺天(くうむへんてん)(処)、識無辺天(しきむへんてん)(処)、無所有天(むしょうてん)(処)、非想非非想天(ひそうひひそうてん)(処)があり、総称して「無色界の四天」といいます。
 これら三界・二十七天の最高の位置にある、非想非非想天(処)を全ての世界の中で最上の場所にある(頂点に有る)ことから、有頂天とも呼び、また、ここから有頂天に登りつめる事、つまり絶頂を極めるの意味から転じて、喜びで夢中になることを有頂天になると表現するようになったのです。
掲載日:2011年09月01日

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