天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第225号

第二五八世天台座主に大樹探題がご上任
――新師表を迎え宗内一丸で

 森川宏映第二百五十七世天台座主猊下のご遷化に伴い、11月22日、大樹孝啓探題大僧正(兵庫教区書寫山圓教寺住職)が第二百五十八世天台座主に上任された。大樹新座主は大正13年6月23日生まれの97歳。平成28年からは一隅を照らす運動会長に就任され「在家の菩薩を一人でも多く増やしていきたい」と、先頭に立って衆生教化に勤しまれてきた。

 大樹新天台座主猊下は、兵庫県姫路市出身。大正大卒。戦後は昭和40年3月まで小学校教諭として奉職された。昭和18年に書寫山仙岳院で得度され、同20年に法界寺住職就任。同37年に仙岳院住職、教諭退職後に圓教寺職員へ。同55年に執事長に就任されるが、それまでに教区主事や教務補佐、教区宗務副所長を歴任されている。昭和59年からは圓教寺住職に上任され第140世長吏の法燈を継がれた。

 平成8年から12年まで天台宗審理局局長。同11年に戸津説法を勤仕され、同22年に探題補任。同27年から次席探題となられ、森川座主猊下を補佐されてきた。

 祖師先徳鑽仰大法会を記念し全国各教区で営まれた特別授戒会では、各地で伝戒和上をお勤めされてきた。いつも優しいお言葉で、伝教大師の「忘己利他」「一隅を照らす」の教えを説かれ、多くの檀信徒らと仏縁を結ばれている。

 一隅を照らす運動会長に就任されたときに、こう述べられている。
 「最澄様は浄仏国土を目指された。そのためには在家の菩薩を一人でも二人でも増やさなければなりません。菩薩を作るためには『布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧』の“六行の実践”が必要です」と。

 また多発する自然災害にも「地球の怒りは神仏の御忠告と受け止めるべきだ」と述べられ、自然へ感謝を示し、日々の暮らしには菩薩の心をもって過ごす大切さを説かれていた。

 今年6月5日に奉修された伝教大師一千二百年大遠忌御祥当後法要(胎蔵界曼荼羅供)で大阿闍梨を勤められ、宗祖伝教大師のご宝前に報恩謝徳の誠を捧げられた。
 祖師先徳鑽仰大法会も1年延期され、来年は九州と京都の各国立博物館で特別展が開催される。また根本中堂大改修工事も進捗している。新たな師表を迎えた天台宗は、大樹新天台座主猊下を中心に更に歩を進めていく。


――伝教大師のみ心を体し

 滋賀院門跡で11月22日、午後3時から上任式が営まれた。

 天台宗と延暦寺の両内局が見守る中、阿部昌宏天台宗宗務総長から梶井袈裟が贈呈された。
 大樹新座主猊下は「伝教大師のみ心に応えられるよう努力してまいります」と就任への決意を述べられた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

往時雲のごとく追うべからず

森鴎外『航西日記』

英雄の故里 水の涯
他年欧州を席捲せんとするの志
已に小園沈思の時に在り


 文豪森鴎外は22歳の時、留学生としてドイツに向かいました。その50日間の旅路を漢文で綴った作品が『航西日記』です。〝森鴎外〟〝ドイツ〟〝留学〟と聞くと違うものを連想した方もいらっしゃるでしょう。鴎外の最初の小説である『舞姫』には留学体験が投影されているということは有名な話ですね。

 今回掲げた言葉は、地中海にあるコルシカ島とサルデーニャ島との間の海峡を通過している風景の中、詠まれた漢詩の冒頭。コルシカ島で生まれ育ったナポレオン一世に想いを馳せ、英雄の栄光も雲のようにすぐに消えてしまい追いかけることは出来ないと綴っています。
この日記を綴った後、鴎外は留学先で出会ったエリーゼという女性と恋仲になります。しかし、生涯を共にすることはなく、帰国後にその女性と会うことは二度と叶いませんでした。この世の存在は諸行無常、変化していくものです。喜ばしい出会いがある一方で悲しい別れをしなければならないこともあります。「愛別離苦」という、人が避けては通れない苦しみなのです。避けられない上にそれがいつ訪れるものかもわかりません。

 苦から脱する為に、お釈迦様は「八正道」という教えを残しています。1 正見(正しい物の見方)2 正思惟(正しい思考)3 正語(嘘も綺麗事もない正しい発言)4 正業(正しい行い)5 正命(規則正しい生活)6 正精進(正しい方法で努力すること)7 正念(真理を追求すること)8 正定(精神を統一すること)の8つの行いを実践することが大切だとしています。 文字にすると大変難しく思います。何が正しいものなのかと、見極めることから始めなければなりませんね。

 しかし、この教えを心に留め、正しい事について思考する。そんな時間もまた、人生という旅路にも必要なことなのかもしれません。

鬼手仏心

 目にも鮮やかな紅葉の季節が終わりを告げ、境内を訪れる人波がスゥーッと引いていく頃になると、いよいよ落ち葉掃除の季節がやってきます。

 地面が見えなくなるほどの落ち葉を掃除する私を見て、通りがかった人が「大変ですねぇ」と労ってくださいますが、私は少しも苦ではありません。落ち葉掃除は実に愉快な作業なのです。
 落ち葉を集めるのには、以前は竹箒や熊手を使っていましたが、いまは「ブロワ」というノズルの付いた送風機で行います。ノズルを落ち葉に向けると、その圧倒的な強い風の力で落ち葉がサァーッと「集団移動」します。

 掃除の前と後の差は明確で、爽快極まりありません。堂々巡りのような思考をしながら苔の雑草を引くのも一興ですが、ブロワを使っての落ち葉掃除では比類無き達成感が味わえます。
 集めた落ち葉は、かつてはたき火や焼却炉で燃やしていました。掃除が終わる頃にはたき火の中に入れた薩摩芋がホクホクに焼き上がり、それが何よりの〝ご褒美〟でした。

 いま、落ち葉は燃やさずに積み上げて堆肥化し、野山や畑に戻して循環させるよう努めています。二酸化炭素を自らどんどん放出しているかと思うと、燃やせなくなってしまったのです。
 環境に配慮するのは、多少面倒かも知れません。でも、すぐにでも取り組めることが実は身の回りには山ほどあり、やってみると意外に簡単で、物心両面の〝ご褒美〟もあります。そして何よりも、地球環境を保全することは次世代への最高のプレゼントになるはずです。

 さぁ、名残の紅葉を眺めながら、今日も楽しく落ち葉掃除! 掃除がすっかり終わる頃には、新しい歳がやってきます。

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