天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第117号

祖師先徳鑽仰大法会の記念事業
「天台学大辞典」編纂室が落慶

 天台宗では、祖師先徳鑽仰大法会が今春四月に開闢、平成三十四年までの大法会期間中には、様々な法要、記念事業等が執り行われる。その一つに『天台学大辞典』の編纂・刊行があるが、このほど、その拠点となる「編纂室」が東京、寛永寺境内に完成。去る十一月二十六日、阿純孝編纂所所長(宗務総長)、菅原信海副所長(妙法院門跡門主)、清原惠光副所長(延暦寺学問所所長)、宗務庁内局参務、並びに辞典編纂に関わる要職者らが出席して、落慶法要が執り行われた。

  同法要で 阿所長は「寛永寺様のご厚意により、その境内地に素晴らしい辞典編纂室が完成した。天台宗及び、天台教学の発展に大きく寄与するものと思う。また、辞典編纂の事業のみならず、編纂作業に従事する若き研究者の学問上の向上に益するものであり、天台宗にとって大きな喜びである」と挨拶し、辞典編纂の拠点の完成を祝福した。また、神田秀順輪王寺門跡・寛永寺住職と杜多徳雄東京教区宗務所長が祝辞を述べた。
 天台宗では、戦前、二十五巻に及ぶ『天台宗全書』を発刊している。全書の出版を中断した戦中や戦後の混乱期を経て、一九八〇年に続編刊行の体制を整備、同八七年から『続天台宗全書』を継続刊行しており、併せて正確な辞典作成のため、今日も収録項目のカード化を続けている。
 この結果、収取されたカードは七万項目を超え、辞典編纂への準備も調った。今後は、こうしたこれまでの蓄積をもとに、この編纂室において編纂作業が着々と進められることになる。
 辞典編纂委員は十七名。この下に四十三名の研究員に加え、協力員二十九名が参加する。延べ九十名のスタッフとなる見込みで、その体制の下、編纂作業が進められる。
 膨大な項目を有するため、専門分野を四つほどのジャンルに分類し、その構成のもとに委員会を設けて研究を進めるという。
 地道な研究の積み重ねが必要とされる作業だが、十年後の成果が宗内外より大いに期待されている。
 編纂室長として編纂作業の指揮をとる多田孝文大正大学学長は「辞典を編纂するには、やはり長い時間がかかる。この十年、誠心誠意務めたい。人生を捧げて、天台宗として恥ずかしくない立派な大辞典を作りたい。」と抱負を語っている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

ええ、庭は一夜にしてできるものではありません。
最低十二年は辛抱が必要です。

「ターシャの庭づくり」 食野雅子訳 メディアファクトリー刊

 ターシャ・テューダーさんは、アメリカの絵本画家であり園芸家です。
 五十歳代半ばより、バーモント州で自給自足の一人暮らしを始め、広大な庭で季節の花々を育てる「テューダーさんの庭」は、世界で話題になりました。
 その庭の美しさはもちろんですが、スローライフと呼ばれたライフスタイルも注目を集めました。
 その庭も、最低十二年は丹精込めて手入れをしなくては満足のいくようには出来あがらないというのです。実際の体験に基づいた年数が十二年です。
 天台宗の開祖伝教大師にも「十二年」というお言葉があります。
「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験を得ん」(顕戒論)というのがそうです。
 「どんな愚鈍な者でも、一つのことを十二年続けていれば、必ず良い結果が出る」ということです。
 比叡山では、現在も十二年の間、伝教大師の御廟である浄土院に籠もり、一般社会との交わりを断って宗祖大師のお世話をする「十二年籠山行」があります。
 開祖伝教大師最澄上人に、生きておられるようにお仕えする行です。伝教大師は平安時代の方ですから、当然もう亡くなっており、肉体は滅しています。 しかし、比叡山、天台宗では伝教大師の魂は今でも生きておられるとしています。
 その魂のことを真の影、ご真影と呼んでおり、十二年籠山を行ずる僧侶のことをご真影に侍るという意味で侍真と呼んでいます。
 湿気も多く、十二年をお仕えするのは命がけだといわれます。
 現在は、何事もスピードが命だといわれる風潮ですが、しかし「事を成す」ためには少なくとも十二年以上は刻苦勉励し精進しなくてはならないということでしょう。

鬼手仏心

『ねば』と『べき』 天台宗法人部長 山田 亮清

  
 作家の阿刀田高さんが「『ねば』『べき』をやめてノホホンと生きていこうと思う」と決意したあるイラストレーターのことを書いています。
 「ねば、べき」とは「人は真剣に生きねばならない」とか「報告と連絡はすべきである」といったことです。
 最初、阿刀田さんは「ねば、べきをやめる」表明に釈然としなかったといいます。日々の暮らしの中で約束は「守るべき」だし、生活している以上「ねば、べき」はたくさんあります。それをいい加減にしては、我々の社会は成り立たないといってもいいからです。
 そのイラストレーターは、「ねば、べきをやめる」宣言後、一年たらずで亡くなったといいます。
 それを聞いたときに阿刀田さんは、きっと、その人は不治の病で、余命はあと一年ということを知っていたのだろうと思います。
 それが「ねば、べきをやめよう」という生き方を選ぶことになったのでしょう。 
 その人は業界でも有能なイラストレーターであったといいます。有能であればあるほど「ねば、べき」を自分自身に課していたと思われます。
 そうでなくては、顧客の満足を得ることはもちろん、仕事を維持することすら難しいことです。世間はそんなに甘くありません。
 しかし、いざ余命いくばくとなってみれば、堅苦しい生き方を捨てて、残りの命をゆるやかに生きようと思ったことも理解できます。
 最後は追いかけられるような生き方ではなく、「ノホホン」と人生を終わりたいと思う気持ちは今の日本人ならよく分かるのではないでしょうか。普段の生活でも、少し息を抜くような生き方をしてもよいのかも知れません。

仏教の散歩道

行動の工夫

 雪国に育った人が言っていました。
 「雪国では、灰色の雪が降るのです。都会の人は雪は白いと思っていますが、そうではありません。暗い空から灰色の雪が降って来ます。そして、雪が降れば屋根の上の雪をかき下ろす雪下ろしをせねばなりません。つくづく雪はいやだなあ……と思います。仏教的には、すべてのものをあるがままに受け容れるべきだと教わっています。こんなふうに〈雪はいやだ〉と思うのは、わたしの仏教の勉強が足りないからではないでしょうか?」
 そう問われて、わたしは返答に迷いました。わたしの脳裡に、とっさに二つの詩が思い浮かんだからです。この二つの詩は、前にこの連載の中でも紹介しましたが、一つは宮沢賢治の詩です。
 《 雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 》
 もう一つは堀口大学のものです。
 《 雨の日は雨を愛さう。
  風の日は風を好もう。
  晴れた日は散歩をしよう。
  貧しくば心に富まう 》
 わたしは、宮沢賢治よりも堀口大学のほうが好きですが、それはともかくとして、二人ともが雪をいやだと思う、そのような気持を不可としているようです。つまり、雪を好きになったほうがいいのです。で、わたしはそのように答えようと思いました。
 でも、雪国の人に雪を好きになれと言うことは、やはり酷な話だと思います。それは、地震を好きになれ、津波を好きになれと言うのと同じではないでしょうか。都会の人間、とくに子どもたちが雪達磨を作って楽しむのと同じになるわけがありません。
 そこでわたしは、このように答えました。
 「〈雪はいやだ〉というのは、雪国の人にとっては自然な感情ですから、それはそれでいいのではありませんか。わたしたちは感情をコントロールしようとしても、そんなのコントロールできるわけがありません。
 感情をコントロールすることはあきらめて、わたしたちは行動をコントロールすべきです。たとえば雨の日、〈いやだなあ…〉と思うのは仕方がありません。しかし、素敵な雨傘とレインコート、雨靴を用意して、それで外出する。そうすると、あんがい雨も楽しくなりそうです。そういう行動の工夫をしてみるとよいと思います」。
 このような「行動の工夫」は、対人関係においても成り立つでしょう。相性の悪い人がいます。嫌いな人がいます。それは感情の問題だから、コントロールできません。嫌いな人を好きになれと言うのは、無理な要求です。だが、嫌いな人に対して、笑顔で応対することはできます。そして、そうすることによって、自分の気持ちが楽になります。わたしは、そういう「行動の工夫」をおすすめします。

カット・酒谷 加奈

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