
ときどき「輪廻転生はあるんですか?」と聞かれることがあります。科学的に言えば肉体の生まれ変わりは確実にあります。地球は四十六億年前に塵や隕石がたくさん衝突し、重力の発生により球体となって誕生しました。約三十八億年前には現在に近い形になり、それ以降の地球全体の質量は基本的に変わっていません。私達の肉体はたくさんの細胞の集合体で成り立っています。その細胞は自ら生み出したわけではなく、他のどこかにあった原子が分子となって集まって出来た細胞です。「質量保存の法則」により地球全体の質量は変わらないのだから、こちらで新しい細胞が増えれば他の場所では何かが減っていることになります。
生命は一生を終えると、その細胞は分子から原子レベルに分裂していき、エントロピー拡大の法則に則って地球上に拡散していきます。拡散した原子は違うどこかでまた集まり分子となり、高層ビルになったり靴紐になったり蒲鉾の板になったり、細胞になってまた違う生命になったり…と繰り返していくわけです。ということで肉体に関しては確実に生まれ変わると言えるのです。
と、そんなお坊さんらしくない理屈をこねても特に何が出来るというわけでもありません。せいぜい生まれ変わるなら蒲鉾の板よりは猫のほうがいいかなと願うことくらいです。
ところが科学や理屈では説明出来ないことはよくおこります。困っている時に何かの力に助けられたり、見えない何かに話しかけられたり、不思議な気配を身近に感じてみたり。魂はどこかに存在しています。心がどこにあるのかわからないけど存在しているように、魂もどこにあるのかわからなくても存在しているのです。
大切な人を想い偲ぶとき、その人の気配や心を感じることがあります。木漏れ日に、眼に映る青葉に、横切る風に、ゆれるカーテンに、すべてに大切な人の存在を感じることがあります。〝山川草木みなホトケ〟すべてに心があると感じる。それは眼に見えない原子や分子にも、一緒に生きてきた〝記憶〟があるからなのかもしれません。科学は科学で大事。でも計算式で割り切れない心の部分も大事なのです。
立ち止まって感じてみて下さい。春の息吹に、夏の日差しに、秋の木立に、冬の星座に、揺れる花々に、すべてに生きている心を感じるはずです。そこにはきっと仏さまの心があるのです。
(文・山陰教区 彌勒寺 柴山 智慶)