天台宗について

法話集

No.264心と祈り

 古来、7月を「文月」(ふみづき)と言います。七夕に「文」を奉ることや、「穂含月」(ほふみづき)が由来と言われてます。これらの伝統行事や農耕との関係が理由とされています。

 京都では7月になりますと、日本三大祭りの「祇園祭」が行われます。前祭(さきまつり)は、7月17日、後祭は7月24日に行われます。17日は水を司る観音菩薩のご縁日で、24日は大地を司る地蔵菩薩のご縁日です。
 祇園祭が行われる八坂神社は、古来「祇園社」と呼ばれ、比叡山延暦寺と深い繋がりがあります。
 主祭神の素戔嗚尊は「薬師如来」、櫛稲田姫命は「十一面観音菩薩」、八柱御子神は「文殊菩薩」としてお祀りをされていると、神仏霊場会の合同祈願祭にて知ることができました。つまり、神様と仏様が表裏一体となって、信仰をされていたのです。
 祇園祭は、疫病退散も願いますが、五穀豊穣を願う大事なお祭りです。作物が豊かであれば、人々も心が満たされます。元気に活力が溢れ、ますます栄える「弥栄」となります。

 話は変わりますが、仏教の教えなどを人々にお伝えする手段として、江戸時代には多くの能や狂言が行われてきました。その中で「福の神」という狂言があります。その中で神は「元手(もとで)が肝要である」と参拝者に伝えました。参拝者は、元手といえば金品だと思い、手持ちが無い旨を神様に伝えました。そこで神はこう伝えました。「金品ばかりが元手ではない。家族への感謝などの心が肝要である」と伝えました。
 感謝の念を興すには、自分を省みることが必要だと思います。我々は1日24時間という中で、時間に追われながら生活をしています。時間に追われ「忙しい」日々を過ごしていると、心(忄)を亡くしてしまいます。そして忘れ物が増えていきます。「忘れる」も心を亡くすと書きます。「慌ただしい」も心(忄)が荒れると書きます。心が落ち着かないと不安になったり「悩み」ます。これも心(忄)と頭が不安で巡るという意味です。
 そのような生活の中で、暫く心を止めおき、心を観察する「止観(しかん)」をお勧め致します。
「悟り」とは遠いどこかにあるのではなく、吾の心(忄)の中にあるのではないでしょうか。「心ノ」まん中で「受」け止めれば「愛」になったりもします。周囲の人々も自分と同様に愛し、憎しみのない平和な世の中になって欲しいと願うのは、私だけでは無いと思います。
 不安を安心に変え、絶望を希望に変えるためにも、止観をお勧め致します。心を整理すれば、周囲に感謝し、神仏に感謝すれば、不思議とうまく事が進みます。皆様が感謝の心で毎日を過ごせば、1人の心の平和が、地域の平和につながり、やがて世界の平和につながることでしょう。
 宗派を超え、国境を超え、全ての人々が平和に暮らせる日が来ることを、心より祈念申し上げます。


(文・京都教区 法輪院 本郷 泉観)
掲載日:2026年07月01日

その他のおすすめ法話

ページの先頭へ戻る