
6月1日、本日は「衣替え」の日ですね。 皆様も夏服を準備しながら、季節の移ろいを感じておられることでしょう。 私自身、若い頃は冬の間に体がひと回り大きくなり、いざ夏服を出してみると「あれ、小さくて入らない!」と驚くことがよくありました。成長著しい時期ならではの、微笑ましくも慌ただしい思い出です。
さて、この「成長」という言葉。私たちはよく「平等」や「公平」という言葉を口にしますが、その違いを意識したことはあるでしょうか。 辞書を引くと、
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平等とは、「偏りがなく、みんな同じであること」
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公平とは、「判断が偏らず、個々の事情に応じていること」 とあります。
例えば、全員に同じサイズの服を配るのが「平等」だとしたら、一人ひとりの体の大きさに合わせて、誰もがきつくない服を着られるようにするのが「公平」です。 全員に同じ量のご飯を出すのが「平等」なら、体の大きな人も小さな人も、みんなが「満腹」になれるよう調整するのが「公平」と言えるでしょう。
私たちはつい「みんな同じ(平等)」であることにこだわりがちですが、個々のニーズを無視して形だけを揃えても、本当の幸せ(満腹感や着心地の良さ)は得られません。
■伝教大師も説いた「一雨一味」の教え
この「違いを認めつつ、等しく救う」というあり方を、天台宗の宗祖・伝教大師最澄様は1200年も前に『法華秀句』の中で示されました。
大師は、法華経の「三草二木(さんそうにもく)の譬え」を引き、こう述べられています。
「一味の雨(仏の教え)は平等に降り注ぐが、それを受けとめる草木には、大きな木もあれば小さな草もあり、それぞれに違いがある」
空から降る雨は、どの草木に対しても分け隔てなく、同じ一味の雨です。しかし、潤される側の草木は、それぞれの大きさや性質に従って、必要な分だけ雨を吸収し、それぞれの個性を生かして成長していきます。 雨(教え)は「平等」でありながら、受けとめる側の個性(公平な配慮)を否定せず、最終的にはすべての草木を「成仏」という一つのゴールへ導いていく。これこそが法華経の説く究極の平等であると教えられています。
■結びに:誰一人取り残さない幸せ
現代の言葉で言えば、「平等・公平」とは、単に形を揃えることではありません。
「一人ひとりの違い(個性や背景)を大切に認め合いながら、誰一人として取り残されることなく、みんなが自分らしく幸せになれる仕組みを築くこと。」
それこそが、仏様が願われた世界の姿ではないでしょうか。
衣替えの季節。新調した服に袖を通すような清々しい気持ちで、私たちも隣の人の「違い」を慈しみ、共に歩んでまいりたいものです。
(文・陸奥教区 瑠璃光院 菅野 康純)