聞き損いは、言い手の粗相。
ということわざがあります。
私たちは、話し手の真意を正しく理解することができず、つい誤解してしまうことがあります。あるいはまた、いくら言ってもなかなか聞いてもらえずヤキモキすることがあります。
「あんなに口を酸っぱくして言ったのに、全然言うことをきかない。」
「こんなに心配していったのに、どうして私の言うことがわからないの。」
と、腹立たしく思うことがあります。
私たちは、自分の言ったことがその通り相手に伝わらない時、聞き手の聞き方がわるいといって責めたりしますが、果たしてそうなのでしょうか。話し手の方に問題はないのでしょうか。
聞き損いは、言い手の粗相。
聞き手が正しく理解しないのは、言い手の方に問題があると思った方がよさそうです。
仏教は、「対機説法」だといいます。お釈迦さまがそうでした。お釈迦さまが説法されるときは機をみて法を説いたといいます。機とは法を説く相手のことです。その人の人格、年齢、教養、性質、まわりの環境、それらをよく知った上で、その人が理解できるように法を説いたのです。だから、心の底に教えがおさまったのでしょう。
一方的な言い方ではなく、まず相手を理解する。その中にことばの交流はあるのでしょう。