天台宗について

法話集

No.163供養のこころ

 先月9月にはお彼岸がありました。皆様もご承知の通り、お彼岸は春と秋との年2回ございます。
 春は春分の日をはさんだ七日間、秋は秋分の日をはさんだ七日間です。お彼岸は仏教の発祥地インド、それに中国にもない日本独自の仏教行事でございます。しかしお彼岸と言う言葉の意味はやはりインドにありまして、彼岸とは梵語の「パーラミター」が語源で、これを漢字にしたのが「波羅密多」です。意味は到彼岸、悟りの世界に到達する為の六種の修行法と言う意味でございます。すなわち彼岸に到ると言う事は、悟りの世界の事であり、仏道の修行で悟りに到ろうと言う訳ですね。
 また、浄土思想では阿弥陀如来様がいらっしゃる極楽浄土は西の遥か彼方にあると言われています(西方浄土ともいいます)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遥か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりとも言われます。太陽がこの世に一番近くなる時期に、心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われる事を願ったものとも言えるのではないでしょうか。
 我々日本人は彼岸を先祖供養の日、お墓参りの日としています。そこで欠かせない物があります。それは「ぼたもち」と「おはぎ」ですね。ぼたもちは「牡丹餅」と書き、おはぎは「萩の餅」とも呼ばれるように、どちらもその形や色を、季節の花である牡丹や萩に見たてて名づけられました。同じ餅を、春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」と呼んできました。
 むかしからお彼岸には、この「ぼたもち」と「おはぎ」をつくり、仏前にそなえてきました。さらには、ご近所のみなさんに配るというならわしも伝えられています。

 ではなぜ、それらを用意するのでしょうか。じつは、むかしは甘いものを口にする機会が乏しく、「ぼたもち」と「おはぎ」は特別の食べ物でした。大事なご先祖さまのために特別のごちそうを家族みんなでつくり、報恩の気持ちを添えてささげたのが、「ぼたもち」と「おはぎ」だったのです。ご縁のある方々に配るのは、お彼岸にふさわしい「ほどこしの修行」に通じるものでした。甘いおはぎには、篤い「まごころ」がこもっているのですね。
 ですから、お墓参りは、悟りに到る為の仏道修行の日とは違うのではないかと思われがちですが、考えてみてください。ご先祖さまを供養すると言う事が善行であり、仏道修行だと言えるのではないでしょうか。日本人は先祖供養という行為をとおして彼岸へ到ろうとしたのかもしれません。お墓に限らずご先祖様をお祀りしているのが菩提寺です。本堂内の位牌壇に先亡各家のご位牌が安置されていると思います。お墓参りの際は、本堂のご本尊様と位牌壇もお参りするよう心がけては如何でしょうか。又、年に一度はご本尊様をお参りして頂きたいものです。

 ちなみに調べて見ましたら、平成24年の秋分の日は9月22日でした。いつもなら23日ですがなぜなのでしょうか?
 秋分は、太陽が天球上の黄経180度(秋分点)を通過する瞬間を言います。その瞬間を含む日を秋分日と言います。
 秋分の瞬間はおおよそ365日と5時間40~50分の周期で巡ってきます。毎年の暦に対して6時間弱の遅れが生じ、約4年で1日分の遅れになります。
 暦のほうも約4年ごとに閏年を置いて1日遅らせるので、秋分はだいたい同じ日付になるのが、深夜0時の直前だったりすると、暦の上で1日の違いになるわけです。今回は、太陽暦に改暦した1873年以降の139年間で、9月22日は4回目で3回目(1896年)から数えると116年ぶりです。いま生きているほとんどの人にとって、生まれて初めてのことになります。
 ほかに、20世紀中に9月24日の秋分が37回あり、最後は1979(昭和54年)でした。それ以外の秋分はすべて9月23日です。今年以降、21世紀の前半に9月22日の秋分が12回あります。太陽黄経0度の春分・春分日・春分の日についても、同様のことがいえます。
 最後に、ご本尊様と良いご縁を結んでお帰り頂けば幸いです。


(文・福島教区 布教師会 小笠原 仁海)
掲載日:2017年10月01日

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