天台宗について

法話集

No.152常不軽(じようふきょう)を実践した回峯の祖・相応和尚

 現在、相応和尚(そうおうかしょう)の千百年ご遠忌にあたることと、若かりし頃に無動寺で小僧修行したこともあり、相応和尚が創始した回峯行の話をいたします。私は大正大学を卒業して直ぐに、寺の院代を一年半の間、勤めた後に、化粧品会社に入社しました。十二年間勤務しましたが、将来の事を考え、南総の寺に行くことになり、娑婆の垢を洗い流すため、比叡山に再修行に行くことになりました。当時、回峯行の道場である無動寺谷・明王堂の輪番だった北嶺大行満・光永澄道阿闍梨に弟子入りが許され、短い期間でしたが、僧侶としての心構え全てを教えて頂きました。無動寺での小僧修行は、朝晩の勤行での読経の仕方、信者さんの接し方と、諸々を教えていただきました。また、行者さんの食事や、お風呂のお世話をした事で、修行の厳しさを肌で感じました。

 比叡山の峰々を歩き巡る回峯行は、とても厳しい修行としてよく知られていますが、現在に伝わる回峯行の修行の形や、礼拝修法が確立され創始されたのが相応和尚であります。相応和尚は法華経の「常不軽(じようふきょう)菩薩品二十」に感銘して、「不軽の行」に打ち込むことに決めたのでした。人はすべて生まれながらにして仏性(ぶつしょう)を持っているとして、いかなる人をも軽んじることなく、人の中に仏の姿を見出し比叡山中を歩き続け、礼拝し続けること(但行礼拝たんぎょうらいはい)を誓願されたのです。

 慈覚大師から不動明法を伝法され、相応和尚は比叡山東塔無動寺谷に草庵を結び、十二年籠山(ろうざん)行に入り苦修練行に日夜励まれました。その後、比叡山の北に連なる比良山中を流れる西安曇川(あどがわ)上流の葛川(かつらがわ)の滝に籠もり、五穀断ちして、七日間不動明王を念じていると、滝のなかに不動明王を感得することが出来たといいます。 相応和尚は大変に霊験力の優れた方で、天皇・皇后をはじめ、様々な人の病気を平癒したと伝えられています。今も白い浄衣(じょうえ)に身を包んだ行者が飛ぶように峰々を回り礼拝、供花(くげ)しています。今も相応和尚の精神を受け継ぐ、千日回峯行の行者さまとお会いすることが出来ます。


(文・南総教区 法興寺 中村 守正)
掲載日:2016年11月01日

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