天台宗について

天台の主張

比叡山宗教サミット18周年世界平和祈りの集い
平和の架け橋を求めて アジア仏教者との対話集会

平成17年8月4日
比叡山メッセージ

 2005年8月3日、4日比叡山宗教サミット18周年を迎えるにあたり、「世界平和祈りの集い」を開催して比叡山上に結集したわれわれは、世界平和を希求する宗教者や地球上のすべての人びとに対して、心からのメッセージをおくりたいとおもう。
 今は神のみもとに召されたローマ教皇ヨハネ・パウロII世聖下の呼びかけによって、1986年、イタリアのアッシジに諸宗教の代表者が集い、異なった宗教、宗派の壁を越えて世界平和実現のための祈りと対話を行った。この開かれた精神に共感し、われわれはその営みを世界各地に拡げるべく1987年、第1回比叡山宗教サミットを開催したのであった。
 以来、われわれは毎年比叡山において世界平和を祈り、対話を重ねることによって諸宗教者の相互理解に努めてきた。特に、1997年には日本宗教界の総力を結集し、比叡山宗教サミット10周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」を開催し、更に2002年には、折から世界を震撼させた「同時多発テロ事件」によるイスラームへの誤解を払拭するために「平和への祈りとイスラムとの対話集会」として、比叡山宗教サミット15周年記念を位置づけた。
 しかしながら世界の各地では、今もなお報復と無差別殺戮が繰り返されている。特に中東、イラクにあっては、宗教を大義名分として、憎悪に根ざした武力やテロによる民族虐殺が正当化されようとしている。このような現実の中で、人類救済と平和希求という宗教本来の使命が失われ、ともすれば宗教が政治の渦中に埋没し、利用されているとの批判を受けている。
 このたび宗教サミット18周年記念に際し、われわれは「平和の架け橋を求めて アジア仏教者との対話集会」をテーマに掲げた。世界の諸宗教が基本的には平和を志向しながらも、現実はその理念から乖離し、宗派間内部の抗争はもとより、宗教間の紛争が目立ち、「紛争の根に宗教がある」とさえ指摘されがちな現象を生んだことは否定できない。とは言え、暴力を抑制する宗教が暴力を助長する要因であっては決してならない。
 このような情勢の中で、特にキリスト教とイスラム教の対立が心配されている。この時われわれは、広くアジアの諸地域の土壌に根づいた仏教が「世界平和実現のために何ができるか」(開催趣旨)をテーマに、アジア各地域の仏教者代表を結集し、仏教者が自らに問いかけると共に、さらに諸宗教の人々と対話することにより18周年記念を意義あらしめるべく平和の祈り集会を開催した次第である。
 仏教の開祖ゴータマ・ブッダ=釈尊は、“すべての存在は相互依存している”という縁起の法を示した。この仏教がアジアの諸地域において、それぞれ異なる民族、風習、文化と接触しながら、それらに溶け込みそれぞれ独自の文化を形成した。この相互依存の理念は、人類の共存と地球環境との共生に資するものである。
 さらにブッダは命の尊さを訴え、無諍と非暴力こそ共存の倫理と説かれた。その実践には、無量の慈しみと哀れみの心と、幸せを共に喜び差別の無い平等心で他者と接することを教えている。
 このような仏教の歩みと考え方は、ヨハネ・パウロII世聖下が宗教サミット10周年記念に寄せられた「自己の宗教への頑なな信仰や執着のために生まれる不寛容と、他の宗教への差別をなくするために、世界の諸宗教の協力と対話が望まれる」というメッセージと通じ、又イスラム教の最高権威アズハルのタンタウィ総長がやはり宗教サミット10周年に寄せられたメッセージで、イスラームは暴力やテロを受け入れず、そして他宗教の人々と平穏に生活することを呼びかけた言葉にも通ずる。われわれはこれらの精神を継承し、深い反省と責任を自覚し、一人ひとりの心に平和の砦を築くことを働きかけ、世界を掩っているテロや核兵器の脅威に、共に対処してゆかなければならない。
 それ故われわれは仏教のみが平和の架け橋となるのではなく、すべての宗教がその根本義に立ち返ったとき、平和の架け橋であることを再認識し、更なる対話を拡げていくものである。
 そしてわれわれの祈りと対話の営みが、人類融和をめざすすべての人びとの連帯と協力を必要とするこの時代に、神仏の加護のもと生かされることを切に希ってやまない。

2005年8月4日

ページの先頭へ戻る