天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第252号

北陸教区
福井と金沢で四十九日追悼法要

-天台宗からは被災地に支援の義援金-

 北陸教区(光照良浩宗務所長)は2月18日、「能登半島地震物故者四十九日追悼法要」を福井市の光照寺(白崎良演住職)と金沢市の道入寺(白崎良瑩住職)でそれぞれ奉修した。両会場では、檀信徒や一般からも参列があり、犠牲者の冥福と被災地の早期復興が祈られた。また全国の天台宗寺院にも、回向を営んでもらうよう事前に呼びかけた。

 四十九日追悼法要は、福井市と金沢市のそれぞれの寺院で午前11時から奉修。光照寺では、光照宗務所長を導師に南越部と北越部の住職や法嗣らが出仕。道入寺では宗議会議員であり、甚大な被害を受けた珠洲市・翠雲寺の岩尾照尚住職が導師を務め加能越部の寺院住職らの出仕で営まれた。檀信徒らも参列して犠牲者の冥福を祈り焼香した。

 法要後、光照宗務所長は「亡くなった方々とご遺族の無念を想いながら勤めさせていただいた。僧侶として今できる支援を続けていきたい」と話している。

 両会場では募金箱が設置され、この日集まった義援金は一隅を照らす運動総本部に寄託される。

 北陸教区では、1月14日付けで教区災害対策本部を設置。甚大な被害を受けた珠洲市にある翠雲寺と檀信徒、また寺がある寺家(じけ)地区への支援を優先的に行い、金沢市内はじめ教区内被災寺院、檀信徒、寺院所在地地域住民の救済と援助を主な目的として独自の活動を展開することを決めている。

 教区災害対策本部長の光照宗務所長は「本格的なボランティア活動が展開されていない現時点では、万人のために役立てるよう小回りの利いた援助を考えている」と話す。

 北陸教区ではメーリングリストで被災地の現状や対策本部の活動を発信している。登録は、天台宗北陸教区災害対策本部 hokurikutendai.noto0101@gmail.com

-被災4県に4000万円-

 令和6年能登半島地震災害に対し緊急救援募金を行っている一隅を照らす運動総
本部地球救援事務局に、2月9日までに4070万57
50円の善意が寄せられた。そのうち4000万円を2月16日、義援金として石川県をはじめとする被災した各自治体や日本赤十字社に寄託した。

 寄託先は、石川県=3000万円、新潟県=600万円、富山県=300万円、福井県=100万円。石川県と新潟県は県に、富山県は日本赤十字社富山県支部と富山県共同募金会、福井県は日本赤十字社を通じて送金された。

 また、地震発生直後より医療と保健衛生面を中心に被災地で緊急人道支援活動を続けている特定非営利活動法人AMDAに、緊急救援引当金より支援金300万円を送った。

 なお、2月26日までに4481万518円の募金が寄せられている。天台宗では3月25日まで義援金を受け付け中。(詳細は7面)

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

職業の偉大さとは恐らくなによりもまず、人間たちを結び合わせることだ

サン=テグジュペリ

 サン=テグジュペリの作品で一番に思い浮かぶ作品といえば『星の王子さま』ではないでしょうか。飛行機が砂漠に不時着してしまった「僕」と「王子さま」との出会いから展開していく物語です。

 小さな星で植物の世話をするだけの単調な日々を過ごしていた王子さまは、突然星に飛んできた種から咲いた美しい花に魅了され大切に育てていたのですが、その花との喧嘩をきっかけに自分の星を飛び出します。

 そして、6つの惑星での旅を経て地球で出会った僕に「あの花は、ぼくの星をいい香りでいっぱいにしてくれた。なのにぼくは、それを楽しむことができなかった」と言いました。

 星の手入れという業務を淡々とこなすだけの毎日を変えてくれた花の存在の大きさを、旅を通して成長した王子さまは実感したのでしょう。様々な人や動物に出会い話すことで、自分の星のかけがえのない仲間の存在に気づき、王子さまは故郷へ帰っていくのです。他者との繋がりの大切さを教えてくれる作品です。

 就職活動をする学生に、企業選びで重視することを聞いたアンケートで「一緒に働く社員との相性」という項目が企業の経営理念・ビジョンに次いで2位となったそうです。
 
 また、職場の退職理由として企業、官公庁が行う調査で「人間関係」は必ずと言っていい程上位に入ります。十人十色という言葉がありますが、その個性の全てが合致する事などなく、理解できない、合わないと思う存在は誰しもいるでしょう。

 これも業務のうちと割り切るのもひとつの生きる術ではありますが、「金銭的な利得や物質的な貯えではなく、人間や事物の関係」を仕事の意義として見出したサン=テグジュペリのこの言葉もまた、取り入れるべき考えなのかもしれません。

鬼手仏心

三月の声のかかりしあかるさよ   富安(とみやす)風生(ふうせい)

 3月という言葉を聞くだけで、周りがパァーっと明るくなったように感じられるという句です。3月になったからといって、急に春めくわけではありませんが、なんだか春色になったようなイメージが湧いてきます。心というのは便利なものですね。

 「心の持ちよう」という言葉があります。心の持ち方次第で、同じことが楽しくも苦しくもなるといいます。たいていの人は、そんなことは百も承知で、心の持ちようを変えれば楽しさが増えて苦しさが減ずるということはわかっています。

 でも、「わかっちゃいるけどやめられない」というのが人の常です。善い方向に考えられる人は少数で、わかっていても悪い方に考えてしまう人の方が多く、場合によってはその連鎖から抜け出せなくなることもあります。

 能登で被災された方の中には、「助かっただけでもよかったと思うようにしています」と、辛くて不自由な避難生活を耐え忍んでいる方がたくさんおられます。失ったものの大きさを、日々噛みしめておられるでしょう。今後の行く末に対する不安は計り知れないほど大きく、とても心の持ちようでは済まされません。阪神淡路大震災も1月17日という厳寒の最中でした。
 
 私も、物資搬入や炊き出し、慰霊などで20回ほど現地を訪れましたが、その惨状たるや想像を遥かに超えていました。人のぬくもりを感じた反面、我欲の醜さに悲しくなることも少なくありませんでした。
 「神戸はどうなっていくのだろう」と案じていましたが、あれから29年経った今の姿に人の強さを見ます。

 季節が幾巡りかした頃、能登の被災地が復興して、人々の心にあたたかい春色の光が差し込むことを切に願います。

♪ 春よ来い 早く来い ♪

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