天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第248号

全国各教区で諸行事を挙行
コロナ禍乗り越え、宗内に活気戻る

 新型コロナウイルスの流行によって中止や延期されてきた各教区、各寺院での諸行事が5類感染症に移行された5月8日から徐々に再開されている。9月に入ってからは、一隅を照らす運動推進大会や各団体による研修会などが催されており、宗内に活気が戻りつつある。

ー会場が報恩心であふれー

 一隅を照らす運動推進大会は、5月24日以降、埼玉、近畿、兵庫、東京、南総、群馬、福島、陸奥、東海、京都、九州西、茨城、滋賀の各教区で順に開催。(10月末時点)11月以降も三岐教区、玄清法流が予定している。
 
 東海教区本部(山田亮盛教区本部長)では9月30日、一隅を照らす運動東海大会を名古屋市公会堂大ホールで開き、僧俗併せて約千名が参加した。
 
 山田本部長から竹内純照一隅を照らす運動総本部長に義援金目録が贈呈されたあと、日々の暮らしの中で一隅を照らす運動を実践する5人に表彰状と記念品が授与された。

  講演では、群馬教区心月院の髙橋美清住職が「SNSの現状と支援 被害者・加害者にならないために〜やさしい心で一隅を照らす〜」を講話し、自身が体験したSNSでの誹謗中傷などや、寺での支援活動について話した。またコンサートもあり盛会裡に幕を閉じた。
 
 九州西教区(嘉瀬慶文宗務所長)では、10月22日に長崎県新上五島町荒川郷に建つ伝教大師像前で、山王山伝教大師像建立四周年法要並びに一隅を照らす運動九州西大会を開催した。
 
 同地は入唐求法の旅から帰国された伝教大師ゆかりの地で、令和元年に住民らの熱意で伝教大師像を建立。毎年10月下旬に法要並びに一隅大会を開いている。
 
 法要は嘉瀬宗務所長を導師に奉修され、天台宗の柴田真成社会部長が随喜のもと、石田信明町長や役場関係者、町民ら百名が出席し世界平和や疫病退散、島内の安全が祈願された。(写真)

 また一隅を照らす運動推進大会では、叡山講福聚教会総本部助講師の山下隆源祇園寺住職、脇山正舜實相院住職による記念講演「伝教大師の御教えを唱える〜詠讃道ご詠歌」が行われた。参加者らは初めて聴く御詠歌に触れ、最後は講師2人の手ほどきで共に唱和。会場が報恩に満ち溢れた。

ー寺庭婦人が意見交換ー

 天台宗寺庭婦人中央研修会並びに「寺婦の日」報恩法要が10月26日から27日まで比叡山延暦寺で開催され全国から寺庭婦人59人が参加した。

 延暦寺会館で行われた中央研修会では、柴田社会部長による講演や参加者同士での意見交換会があり、各教区の現状報告と問題点について認識を深める場となった。
 
 翌日は、大講堂で「寺婦の日」報恩法要を奉修。寺庭婦人表彰式で表彰該当者6名が参加し表彰状を授かった。また天台宗寺庭婦人連合会から延暦寺へ奉納金30万円が贈呈された。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

天国は もう秋ですか お父さん

塚原 彩

 交通事故で亡くなった父に「今頃は、そちらは秋でしょうか、お父さん」と問いかけた小学生の句です。

 「世界こどもハイクコンテスト」で選ばれた句だそうです。

 なにもこれ以上付け加えることのない言葉で綴られているという気がします。愛する人を突然失った悲しみと、断ち切れない心のつながりというものがしみじみと伝わってきます。

 まだ存命中だったお父さんとは、愛情溢れる日々ばかりではなかったでしょう。時には対立し、喧嘩にまで至ったこともしばしばあったことと思います。
 
 一方、互いの心が通じ合い、笑顔で包まれた楽しいひとときは、忘れがたい時間だったことでしょう。こうした日々の一こま一こまが、今では悲しくも懐かしい思い出となって残っているのです。

 愛する人と死別してからは、日が経つにつれて過ごした時のこともだんだんと薄れていきます。それは一面、悲しいことではありますが、致し方ないことと思います。

 成長と共に、様々な経験と出会いがあり、次々と新しい記憶が刻まれていきます。気がつくと悲しい思い出も記憶の波に洗われていきます。でも、決して共に過ごした事実は消え去ることはありません。

 時が経って、いつの日か自分自身が父親と同じくらいの年齢となったとき、そして自らの子どもを得たとき、きっと「天国は もう秋ですか お父さん」という言葉をあらためて思い出すことでしょう。

 そして、我が子に祖父について語ることと思います。そこには連綿とつながっていく愛が存在しているのです。

鬼手仏心

親 心

 茨城の県南地方は七五三のお祝いを全国に類を見ないほど大勢の人を招いてする地域で、度々NHKなどに取り上げられています。

 七五三は元々別の行事で、男女共に行っていました。
三歳の髪(かみ)置(おき)儀式は、平安時代の三歳男の子・女の子ともに生後七日目に頭髪を剃り、三才までは病気予防のため、頭を清潔に保つべく丸刈りで育てます。三歳になると「髪(かみ)置(お)きの儀(ぎ)」。

 これは白髪になるまで長生きするようにと、白髪を模して綿白糸など頭の上に置いて長寿を願った儀式で、この式より髪を伸ばし始める行事が由来です。

 五歳の儀式、「袴(はかま)着(ぎ)の儀(ぎ)」は本来男女ともに袴をはく儀式で、男の子は羽織袴を着用することができ少年の仲間入りが出来ました。

 七歳の「帯(おび)解(とき)の儀(ぎ)」は「紐(ひも)解(とき)」ともいわれ、七歳で男女共に付紐の着物から本式の帯を締め無事大人に成長することを祈った式でしたが今は女の子がすることが多いようです。

 以前は三歳、五歳、七歳を迎えられる子供のために男女ともお祝をしました。

 「三歳で言葉を授かり、五歳で智恵を授かり、七歳で歯を授かる」と言われて神仏に感謝と健やかな成長を祈ったのです。

 いつの時代も子を思う親の心はありがたいものです。

 次のようなことわざがあります。

 「這えば立て立てば歩めの親心」

 「わが身につもる老いを忘れて」

 このことわざは次の短歌が元歌です。

 「はえばたてたてば歩めと思うにぞ わが身につもる老いをわするる」

 詠み手は常陸笠間藩(茨城県笠間市)二代藩主井上正(まさ)任(とう)公です。

 子供がハイハイできるようになったら早くつかまり立ちができるようにと願い、つかまり立ちができるようになったら早く歩いてほしいと願うものです。

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