天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第246号

比叡山宗教サミット36周年
「世界平和祈りの集い」

 比叡山宗教サミット36周年「世界平和祈りの集い」が8月4日、比叡山で開催された。6団体の宗教代表者が「平和への道 −未来へ向けて−」と題して決意を語り、出席した約450名の宗教者らが人類の安寧と世界平和へ祈りを捧げた。式典の模様は動画配信サイトを通じて全世界に中継された。(3・4・5面に関連記事)

 熱中症や異常気象対策とし、延暦寺会館で「平和の式典」を、世界宗教者平和の祈り記念碑前広場で「平和の祈り」を実施。通常開催では初の二部制を採った。

 式典は、延暦寺会館で13時からこれまでの歴史を振り返るオープニング映像で開式。阿部昌宏天台宗宗務総長の挨拶に続いて、「平和への道−未来へ向けて−」が始まった。

 登壇したのは、教派神道連合会から理事長の宍野史生神道扶桑教管長、全日本仏教会から副会長の五條良知金峯山修験本宗管長、日本キリスト教連合会は委員長の土屋潔日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団理事長、神社本庁は田中恆清総長、新日本宗教団体連合会は常務理事の宮本惠司妙智會教団法嗣、そして日本ムスリム協会より佐藤裕一副会長の6人が順にそれぞれの教義に則り祈りを捧げ、宗教間対話と平和への取り組みの展望について語られた。

 続いて、パロップ・タイアリー世界仏教徒連盟会長、ミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソットローマ教皇庁諸宗教対話省長官からの平和メッセージが披露された。

 また参加者一同から賛同を得て、記念品相当額が公益財団法人日本ユニセフ協会に寄託され、早水研専務理事に目録が手渡された。

 続いて、屋外の世界宗教者平和の祈り記念碑前広場に会場を移し、15時20分に再開。次代を担う宗教者を代表して新日本宗教団体連合会から宮本泰克さん、教派神道連合会から北川真喜子さんの2名が登壇し、初回に発信された『比叡山メッセージ』を朗読。先人らが込めた平和への想いや比叡山宗教サミットの精神を確認した。

 そして15時半には大樹孝啓天台座主猊下ら9人の教宗派代表者が登壇し、文殊楼横にある「世界平和の鐘」の音に合わせ、会場全員で一分間の黙祷を捧げた。

 挨拶された大樹座主猊下は「我欲の暴走、憎悪と暴力の連鎖を断ち切り、協働と調和の力で慈悲の心を未来へ向けて育まねばならない」と力強く呼びかけられた。

 最後は水尾寂芳延暦寺執行が閉式の辞を述べ、平和への祈りと行動を続けることを誓い合いながら閉会した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

運命がレモンをくれたら、それでレモネードを作る努力をしよう。    

デール・カーネギー

 『人を動かす』『道は開ける』などの著作で知られるデール・カーネギーの言葉やマインドは、現代のビジネス研修の場で広く活用されています。

 日本ではあまり馴染みがありませんが、欧米ではレモンは「欠陥品、品の無いもの、出来損ない」の象徴とされています。今回の言葉の中でも「不運、不快なもの」という意味で用いられています。

 かつて、伝教大師最澄が「時に遭うはまた難(かた)し、人に遇うもまた爾(しか)なり」という言葉を残した通り、 日々生きていると周囲の環境や対人関係が自分の思いと裏腹に動くことがままあります。

 例えば、自分はこうしようと思っていたのに周囲から反対されたり、信頼していた人が自分の元から去ってしまったりなどでしょうか。

 そんな苦くて思わず顔を顰(しか)めるような経験に直面すると、「あきらめ顔で『私は負けた。これが運命だ。もはやチャンスはない』などと言い出す。

 そして世間に文句をつけ、自己憐憫(れんびん)にどっぷりひたり込んで」しまいがち、いわばレモンは生で食べられないから、なんでこんなものを送ってくるんだと文句を言い最終的に捨ててしまうことでしょう。

 しかしそうではなく、このレモンをどうやったら食べられるようにできるかと、捉え方を変えてみるのです。
 
 そして、今後レモンを貰った時はどうしようかとイレギュラーにも目を背けることなく、自分の糧にしていくことが実のある人生への一歩なのでしょう。

 レモネードをどのくらい甘くするか、スパイスを加えて風味を変えてみるなど、周囲に惑わされることなく自分なりに試行錯誤することもまた、人生の味なのかもしれません。

鬼手仏心

時代はかわる

 子ども達が歓声を上げ戸外で遊び回っている光景は、いつ見ても心楽しいものです。難しいことや、やっかいな問題を抱えて心穏やかでないときなど、子ども達の笑い声を聞き笑顔をみると、いつしか癒やされて落ち着きを取り戻すこともしばしばです。しかし、そういう光景も少なくなりました。

 唱歌の「ふるさと」には「兎追いしかの山 こぶな釣りしかの川」とあります。歌の作られた時代は、授業などが終われば一目散に学校を飛び出し、野に山に、川や池にいって遊んだものでしょう。

 都会の子どもでも近くの空き地や神社、お寺の境内で日がな一日過ごしたことだと思います。こういう時代が分かる世代も今では少数派になってしまいました。隔世の感があります。

 そこから時代が大きく移ると、子どもの過ごし方は、戦後のテレビ全盛時代を経て「ゲーム」の時代になります。

 今の高齢者の方々の子ども時代でしょうか。「外で遊んできなさい」と口が酸っぱくなるほど言われた記憶をお持ちの世代でしょう。

 しかし、今ではさらに変わって「IT」一辺倒の時代になりました。ますます戸外に出て遊ぶ時代ではなくなってきているように思います。

 かつての「兎追いしかの山 こぶな釣りしかの川」のような「自然に抱かれて育つ」時代から想像できない世の中になりました。

 これからどんな過ごし方をする子ども時代が待っているのでしょうか。ただ、「子どもの歓声と笑顔」の絶えない未来であってほしいものです。

ページの先頭へ戻る