天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第244号

福島教区
根本中堂落慶には檀信徒との登叡誓う

祖師方へ報恩感謝示す

 福島教区(横山大哲宗務所長)は6月6日、比叡山延暦寺大講堂で「山家会 伝教大師報恩謝徳法華三昧法要」を奉修した。
 
 教区内住職と寺庭婦人ら40名が随喜し、宗祖伝教大師へ報恩感謝の誠を捧げ、根本中堂が落慶の折には檀信徒共々に登叡し法要することをご宝前に誓った。

 宗祖伝教大師一千二百年大遠忌をはじめとする祖師先徳鑽仰大法会は今年3月末で結願を迎えた。同教区では、令和2年に延暦寺での大遠忌教区法要を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の流行により2度の開催中止を余儀なくされていた。

 そして、ようやくコロナ禍も収束の兆しが見えたことで教区内住職と寺庭婦人が登叡し、伝教大師をはじめ大法会期間中に遠忌を迎えられた三祖師(慈覚大師、恵心僧都、相応和尚)へ報恩謝徳を捧げる法要を営んだ。

 横山宗務所長は教区内住職の代表者19名を伴い一隅会館前を出立。天台宗と延暦寺の役員、福島教区から参加した住職と寺庭婦人らが待つ大講堂までを練り歩いた。

 横山宗務所長はご宝前に表白を奏上し、全員で伝教大師の御遺戒と和歌を唱えて御遺徳を讃えた。

 挨拶した阿部昌宏天台宗宗務総長は、東日本大震災からの復興に触れ「福島県における東日本大震災からの復興の12年は、地震、津波、原発事故、風評被害の四重苦の道のりを歩んでこられた。福島教区のみなさまは『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』の精神で被災地復興に尽力されてきた。天台宗はこれからも寄り添い続けていく」と約束した。

 そして今法要については「昨今の社会情勢は、末法濁世(まっぽうじょくせ)閉塞感を打破するためには宗祖伝教大師の精神を発揚することであります。宝とすべきは道心であり忘己利他の実践です。

 宗祖の御誓願である浄仏国土建設に向け、大法会期間は結願を迎えたが共に布教、教化に邁進してまいりたい」と述べた。また水尾寂芳延暦寺執行からも「変わることがない伝教大師の正しいみ教えと為すべき行動を信じて、不安を抱える人びとの心の救済に努めていかねばならない」と呼び掛けた。

 横山宗務所長は「令和9年に完成をみる根本中堂大改修の慶讃落慶の際には檀信徒とともに登叡し、法悦に溢れる福島教区法要が厳修できることを心待ちにしている」と述べ謝辞に代えた。なお延暦寺へ根本中堂大改修の御供がなされた。

次代に繋げる為にも

 祖師先徳鑽仰大法会は3月末をもって結願を迎えたが、大法会最大の記念事業である『根本中堂の大改修事業』の完成が控えおり、現在も修復の様子が間近で見学できる。コロナ禍により中止されていた天台宗と延暦寺の諸行事や団体参拝も徐々に再開されておりかつての賑わいも戻りつつある。

 阿部宗務総長は総結願法要で、次の50年後の宗祖伝教大師一千二百五十年大遠忌に向けても、み教えを未来へ継承していくことを誓っており「コロナ禍も収束の兆しが見えた今、檀信徒はじめ多くの方々にご登叡いただき祖師方の報恩に触れて欲しい」と願っている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

時は癒してくれない。慣れるしかない。受け入れ、苦しみとともに生きる。そうすれば、その苦しみが自分の一部になってくる。

ダリア・マズールさん(ウクライナ人女性)

 マズールさんの夫は、2014年に戦死しました。親ロシア派の進軍を受け、ウクライナ軍がドネツク州イロヴァイスクから撤退したこの年、ウクライナ側の戦死者は数百人にのぼるといわれています。その中の一人にマズールさんの夫がいました。

 時を経て、2022年からウクライナ戦争が始まりました。この戦争による犠牲者(ぎせいしゃ)は、民間人を含めると最低でも6万人以上います。マズールさんのように、自分に近しい人を失って悲しみ、苦しみの中にいる人が増え続けています。

 かつて学生時代の恩師に、第二次世界大戦で婚約者が出征したまま生死が分からず、独身を貫き婚約者の帰還(きかん)を待っていた方がおりました。

 戦争から40年も経っているにも関わらず、ほんの少し前のことのように語られた先生に、厳(おごそ)かな思いを抱いたものです。そこには、いつもの溌溂(はつらつ)とした教師としての姿とは別の何かがありました。

 戦争だけではなく、自然災害、不慮(ふりょ)の事故、事件、病気などで、自分にとってかけがいのない大切な存在を失ってしまうことがあります。想像するにも耐えがたく、受け入れがたいことです。

 人間のストレスで最も大きなものは「配偶者の死」「親族の死」(つまり、「大切な者の死」)といわれています。

 米国や英国の研究では、配偶者の死別後に心筋梗塞(こうそく)や脳梗塞などの心血管疾患の発症率が上昇するとのことです。「大切な人を失う」ことは、それほどの衝撃(しょうげき)が心と体に傷をつけてしまうのです。

 「悲しみを乗り越えて」という言葉をよく聞きます。しかし、大切な人を失う悲しみを乗り越えることはできるのでしょうか。そうではないと思います。

 「乗り越える」のではなく「抱き続けていく」のではないでしょうか。その悲しみ、苦しみを抱き続けて、その人の一部になる。そういった方に寄り添っていける自分でありたいと思います。

鬼手仏心

生命(いのち)の尊さ

 今年も「世界平和祈りの集い」が比叡山で開催されます。私の寺では、八月六日に別途「平和の鐘の集い」を行います。

 昭和二十年八月六日午前八時十五分に広島市に原爆が投下され、二十四万人中、十四万人以上が死傷、
十万人を超える人々が後々まで、原爆症で苦しむという人類最初の無差別、大量殺戮(さつりく)、放射能拡散でした。爆心地付近で三千℃以上、半径二キロにわたり焼き尽くされたといいます。建物の下敷きになったりして、女学生約百名全員死亡の学校もありました。人々は水を求めて右往左往し、まさにこの世の地獄絵図と化したのでした。

 私の師父、先代住職は大正十三年生まれ。東京の大正大学へ通っていた二十歳のころ、昭和十八年十月
二十一日「学徒出陣」で志願し、特別幹部候補生、船舶工兵として配属、広島の呉にいました。原爆投下の前々日、八月四日の深夜、広島駅から福山へ移動、生命(いのち)からがら難を逃れたといいます。

 父にとっての八月六日は、九死に一生を得た日だったのです。父は、八月六日の平和の鐘を鐘(つ)く時、「この鐘は、自分にとっての鎮魂の鐘だ」と、いつも言っていました。亡くなられた数多くの原爆犠牲者を思う時、奇跡的に生かされた自分は、どうやったらご恩返しの生き方ができるのかと、いつも自分に問いかけていたのでした。

 私は、この鐘を鐘(つ)くたびに、戦争のない平和な国、ふるさとにしてくれと、鐘が呼びかけているような気がします。

 両親から賜(たまわ)った私たち一人ひとりの生命(いのち)を、平和で、生きがいのある社会を作りあげること、それを次世代を担う子どもたちに伝えてゆくことこそ、私たちに与えられた使命だと思うのです。 合掌

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