天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第232号

【修復終えた勅額を奉納】東京教区伝教大師一千二百年大遠忌法要

 天台宗東京教区(林觀照宗務所長)は6月7日、伝教大師一千二百年大遠忌東京教区法要を比叡山延暦寺根本中堂で奉修した。修復を終えた勅額が奉納され、法要では大遠忌記念として教区で新たに作成した傳教大師本懐讃を奉読し、報恩感謝を捧げた。

 法要は13時半から開式され、林宗務所長を導師に教区から70人が出仕。根本中堂までを練り歩き、入堂後は修復を終えた根本中堂勅額が奉納され、阿部昌宏宗務総長、水尾寂芳延暦寺執行、林宗務所長が除幕した。
導師による表白の奏上後、出仕並びに随喜者で山家学生式を唱和。続いて傳教大師本懐讃が唱えられ、御遺徳を讃えた。

 阿部宗務総長は「伝教大師の志、御教えをこれからも変わることなく後世に伝えていく。その証として教区ご寺院の皆さま方が宗徒を代表して勅額修復を行っていただいた」と感謝し、水尾延暦寺執行も「この法要が宗内全体に大きな功徳を巡らせて下さるよう祈念申し上げる」と話した。


――2つの記念事業

 傳教大師本懐讃は、大遠忌記念事業として同教区が令和元年から取り掛かり完成させた。伝教大師の人生を尋ねながら、事績や記録を知ることができる。

 林宗務所長は挨拶の中で編集に携わった木内堯大大正大学特任准教授の話を引用し「伝教大師のご遺徳が辿れること、史実と異なる伝承を省いたもの、誰にでもわかる新しいものを、できる限り既存の資料を崩さずに作成したい。現在の段階で史実と見なされる説だけを用いる。そして伝教大師の素晴らしいお言葉を実際に口にだして読んで貰う機会を作りたい」と内容や刊行に至った経緯を披露。「伝教大師のお心を立体的に復元化できたと自負している。布教などで大いに活用いただければ」と願いを語った。

 また、根本中堂に掲げられていた勅額「傳教」も修復を終え今法要で奉納された。
 同額は、開創一千百五十年を迎えた昭和12年に昭和天皇から下賜され、同15年5月4日から3日間に亘り勅額拝戴慶讃法要が営まれた。当時、宗務総長を2度務めた青木道晃師らが伝教大師奉讃会を結成、その記念事業として下賜されたもので、同教区との縁も深いことから教区内全御寺院の賛同を得て修復を進めていた。

 林宗務所長は「根本中堂の改修なった暁には、その中央高くに掲げられ、不滅の法燈とともに永劫に光り輝き、ひいては本懐讃が人びとの心に宗祖大師の御心を敷衍する、よすがとなることを期待する」と感無量の様子で挨拶した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

人生という本は、後ろに答えが書いてあるわけじゃないんだよ

(チャーリー・ブラウンの言葉 『ピーナッツ』チャールズ・M・シュルツ作より)

 この言葉に初めて出会ったのは、まだ幼いといってもいいような若い時分でした。それまでは、自分の生きている地点では「人生」という単語はあまりに重く、自分自身からかけ離れていて、未来に始まる何かのような気がしていたのです。

 だからこそ、チャーリー・ブラウン少年(なんと8歳!)の言葉で「自分の人生はすでに始まっている。実は半ばを過ぎているかもしれないのだ」ということに気づき、愕然(がくぜん)としました。考えてみると、人生の終わりはいつ来るかわからない。初めて自分の「人生」というものを痛烈に意識した瞬間でもありました。
時が過ぎ、人生の折り返しをだいぶ過ぎた頃に再びこの言葉に出会いました。いまは以前とは全く異なる捉え方をしています。

 「人生が後ろの方に答えが書いていないのは、終わりの時まで自分自身で変化させることができるからではないか」。
抗(あらが)えない運命を受け入れるしかないけれども、自分自身の心の在り方で、人生を変えることができるのではないか、と。

 確かに私の人生は誰かに影響を及ぼしたものでもなく、歴史に名を残すようなものでもないものです。過ぎ去った日々には後悔も多くあり、どうにもならない悲しみやむなしさも抱えています。

 しかし、現在を丁寧(ていねい)に生きること、たとえば、自分が今やらなければならないことに真剣に取り組むこと、自分のそばにいる生きている人に優しく接すること、季節の移ろいを愛でること、自分自身が生かされていることに感謝すること。時に休みながら、時につまずきながらでも、たとえそれが人生のほんの短い時間であっても、充実した営みをひとつずつ積み重ねていく。
そうしていくことで、人生そのものが自分自身にとって価値のあるものになっていくように思います。「いろいろあったけど良いものだった」と、人生という本の後ろに自ら綴(つづ)れるように。

鬼手仏心

 SDGsが掲げる17の目標の13番目に、「気候変動に具体的な対策を」という項目があります。地球温暖化や、それがもたらす気候変動を抑止することは、今や人類共通の喫緊の課題であり、8月の比叡山宗教サミットのテーマも「気候変動と宗教者の責務」です。

 地球温暖化の大きな原因の一つである二酸化炭素の排出削減のために出来ることは、私たちの日常の中に実にたくさんあります。たとえば、冷暖房の温度を見直す、車の無駄なアイドリングを控えるなどは、意識さえすれば今すぐにでも始められます。スーパーの食品を手前から取るのも、食品ロスを減らし、結局は二酸化炭素の排出削減に繋がります。

 さらに効果が大きいのは、電力会社の切り替えです。2016年の電力全面自由化以降、私たちは電力会社を自由に選べるようになりました。石油や石炭などの化石燃料を燃やして作られた電気ではなく、太陽光や風力・地熱などの再生可能エネルギーによって作られた電気を選べるのです。

 昨年、私は後者の電力会社に切り替えました。手続きはインターネットなどで申し込むだけ。切り替えたからといって、電力供給が不安定になったことはありませんし、日常に何の変化もないので、切り替わった実感はまるでありませんでした。
財布にやさしいかどうかは最近の電力値上げもあってよくわかりませんが、地球環境に優しいことは確かでしょう。自己満足かも知れませんが、自分が生きていくために排出される二酸化炭素が、少しは減ったイメージが湧きます。

 国の施策や企業の取り組みだけでは、地球温暖化は防げません。次の世代の地球環境のことも考えながら、それぞれの立場で出来ることを日々積み重ねていく。些細なことからでも、まずは意識して実行あるのみだと思います。
 さぁ、ご一緒に取り組みましょう!

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