天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第231号

大樹孝啓天台座主猊下が第二百五十八世の法燈をご継承

 第二百五十八世天台座主に昨年11月22日にご上任された大樹孝啓探題大僧正の「傳燈相承式」が5月31日、比叡山延暦寺根本中堂において厳かに執り行われた。大樹座主猊下は、御本尊薬師如来と伝教大師以来の不滅の法灯のご宝前において傳燈相承譜に署名され、第二百五十八世の法燈を継承された。同日午後には、京都市内のホテルにおいて「傳燈相承披露の集い」が開催され、宗教界はじめ政財界など各界からの来賓約460名が出席し、大樹座主猊下に祝意が寄せられた。

 大樹新座主猊下は、午前10時過ぎに殿上輿に乗られて書院を出発。新緑の映える延暦寺境内を延暦寺一山らの出仕僧を伴い、根本中堂まで進まれた。
入堂された大樹座主猊下は御本尊に礼拝・登壇された。祝祷唄が堂内に響き亘るなか、第一世天台座主義真和尚から歴代座主猊下の署名が連なる「傳燈相承譜」にゆっくりと御名を記された。

 傳燈相承式は、宗祖伝教大師以来受け継がれてきた教えを継承する儀式で、天台宗における最高の慶事とされる。根本中堂中陣正面には祭壇が設えられ、左手には桓武天皇ご真影、右手の宗祖伝教大師ご真影の前に供えられた、八舌の鑰(やく)、勅封の鍵、五鈷、鉄散杖、一字金輪秘仏などの伝教大師ゆかりの秘法具や大乗戒伝授に欠かせない仏舎利なども、新猊下に継承された。

 そして古式に則った儀式を修された大樹座主猊下は、諭示を発せられ、座主職に上任したお志を示された。
この後、阿部昌宏天台宗宗務総長が挨拶に立ち、「ご諭示において『我々はこの混迷する状況を傍観することなく、「忘己利他」「一隅を照らす」という宗祖伝教大師の高邁(こうまい)なる御教えを昴揚し、慈悲に溢れた社会を目指さなければなりません。』という力強いお言葉を賜りました。私ども宗徒は、座主猊下の御心を旨とし、檀信徒の皆さまと共に宗祖のご誓願である浄仏国土建設に邁進すべく、心を新たに致しております」と述べ、法燈継承を祝した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

五月雨に物思ひをれば郭公 
 夜ぶかくなきていづちゆくらむ

紀 友則

 ――五月雨が降りしきる中、ものおもいにふけっていると、ほととぎすが夜更けに鳴き飛び去った。何処へ行くというのだろう。

 五月雨は旧暦の5月、ちょうどこの時期に降る雨のことを指します。皐月の「さ」と「水垂」が語源とされています。

 五月雨を主題に詠まれた和歌は多くありますが、ものおもいや気分が晴れない、物憂い気分を表現するのに使われる例がよく見られます。右に掲げた歌では自分の悩みをホトトギスに重ね合わせ、何処へ行くのだろうかと問いかけます。五月雨という表現が「物思ひ」をより重く感じさせます。

 古人が感じていたように梅雨の時期がくると体調が優れない、憂鬱な気分になるという人も少なくないでしょう。しかし、この時期の植物にとっては成長に大きな影響を与え、豊穣をもたらします。同じ長雨でも受ける対象によって影響が変わってくるのです。
法華経の教えの中の薬草喩品(やくそうゆほん)第五では、大地に降り注ぐ雨をお釈迦様の教えに例えています。この世界には山や川、渓谷、土地がありそこで育つ様々な植物の存在があります。それらはひとつとして同じものはなく、背丈の違いや根の張り具合などそれぞれであるが、どの植物にも十分な潤いを与えられるほどの雨は必ず降り注ぎます。つまり一人ひとりの為の教えが皆に降り注ぐのです。

 教えという恵みの雨を受けたとしても自分自身が変化したかどうかは、自覚できないと言われています。自分の悩みはどこへ向かうというのか……何も変わっていないようにみえて変わっている、その変化を知っているのは悟りを開いたほとけさまだけですから。

鬼手仏心

古関裕而( こせきゆうじ)作曲 『長崎の鐘』に想う

 一昨年、東京オリンピック・パラリンピック開催予定のところ、コロナウイルス蔓延防止のため1年順延され、昨年8月行われました。

 さて、一昨年春に放映されたNHK朝ドラ「エール」は、昭和39年(1964)「東京オリンピック・マーチ」を作曲した国民的作曲家古関裕而氏をモデルにして描いています。古関氏は、戦後、日本中の人々に勇気と希望を与え大ヒットした歌謡曲『長崎の鐘』を作曲しています。

 昭和20年(1945)8月9日午前11時2分、長崎に原爆が落とされました。爆心地700メートルにあった長崎医科大学の永井隆博士は、大学病院で被爆し、全身にガラスの破片が突き刺さり重傷を負い、血だらけになりながら、被爆者の救護活動に尽力し、医師としての使命を果たしました。爆心地600メートルの自宅は全焼、最愛の妻を亡くしました。長崎平和公園記念館に「己の如く人を愛せよ」という色紙があります。まさに平和と人類愛に満ちた生涯(昭和26年没、享年43歳)でした。

 被爆者としての過酷な体験を綴った博士のベストセラー小説『長崎の鐘』を基に、サトウハチロー氏が作詞、古関裕而氏はこの詩を原爆の被災者のみならず、打ちひしがれたすべての戦争の犠牲者の再起を願い作曲しました。歌手藤山一郎氏が格調高く見事に歌い上げ、人々は感動し、涙しました。

 『長崎の鐘』とは、「廃墟となった浦上(うらかみ)天主堂(てんしゅどう)のレンガの中から壊れずに掘り出された鐘」のことで、まさに『平和の鐘』でありました。
二度と戦争のない平和な世界を祈念する今日この頃です。

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