天台宗について

法話集

No.39布施

 布施(ふせ)というとご法事のときにお寺さんへ包んでいくお布施を思い浮かべますが、一般的に金品を施すことを財施(ざいせ)といい、仏法を説いて聞かせるなど、心への施しを法施(ほうせ)といいます。他に、無畏施(むいせ)といって何ものにも怖れることのない力を与える布施があります。たとえば、施無畏者(せむいしゃ)という別名もある観音さまが与えてくださる布施がそれです。
 布施は、自分の都合を後にして他を助けることで、これは仏に近づく手段のひとつですから仏教徒の第一のつとめです。いろんな意味で、相手を助け、豊かな心にする行為は布施と言えますから、たとえば、やさしい眼差(まなざ)しや笑顔を向けること、思いやりのある温かい言葉をかけること、ちょっとした心づかいをすること、順番や席をゆずったりすることなどが立派な布施になります。
 一方、名利(みょうり)の布施という言葉があります。これは自分の欲をからめての布施で、お礼や誉められることを期待したり、どこかに名前が載ることを喜びとしたり、金額を競ったり、好い人だと思われたいとか、そんなことをチラッとでも思ったうえでの布施のことです。こういう布施は不清浄施(ふしょうじょうせ)といわれるくらいで、自分を汚してしまいます。『貧者(ひんじゃ)の一灯(いっとう)』という話は、貧しい少女が自分の髪の毛を売ってお釈迦さまに捧げた小さな小さな灯が大風に耐えて最後まで輝いていたという話です。大金持ちが競って寄進した大きな灯篭(とうろう)の灯はみんな消えてしまったのです。
 布施に自惚(うぬぼ)れや高慢(こうまん)さは禁物です。「こんなことしかできなくてすみません」という謙虚さと「させていただく」という態度があってはじめて布施は功徳(くどく)となるのです。
掲載日:2007年05月24日

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