天台宗について

法話集

No.193「満開の桜」

 私が住職をしている寺には、有名な桜があります。4月になると「桜は咲きましたか」「何時が満開ですか」と矢継ぎ早に電話が鳴り響きます。今ある桜の木は若木ですが、1300年以上前から咲き続ける三代目の桜です。

 桜の寿命は、ソメイヨシノだと100年ぐらいとされますが、原種の桜だと1000年は当たり前だと言うので驚きます。人間はそうはいきません。織田信長は、人間50年と好んで舞ったとされますが、平成以降は100歳を超える方も結構多くなってきました。

 私がこの桜の満開の日に出会う機会は何回あるのだろうかと、最近思うようになってきました。桜をよく観察してみますと、蕾から開花、開花から一週間で満開、満開から一週間で散ります。本当に綺麗だなと思える満開の日は、たった一日だけです。梅の花は、パラパラ咲いてパラパラ散って、満開と言える一日がありません。桜守をしている還暦過ぎの私でも、人生の間に五十回、この桜の満開に出会えただろうか。若い頃には、そんなに桜に興味も持てなくて真剣に見ていませんでしたし、雨や風で満開を迎えること無く散り始めた年もありました。こんな花だからこそ日本人は桜を愛して止まないのでしょうね。

 私は、桜を見に来られた方に、いつも満開の桜に出会えた喜びと御本尊薬師如来様のご利益のお話をします。すると、「亡くなられた先代の住職さんから、いろいろとお説教をしてもらいましたわい」と・・・

― 伝教大師のお言葉より ―
『時に遇(あ)うはまた難(かた)し、
人に遇(あ)うもまた爾(しか)なり。
教(おしえ)を聴くことまた難(かた)し。
時と教(おしえ)と人との三種、
熟すること極めて之を難(かた)しとなす。』


(文・四国教区 西法寺 薄墨 賢祥)
掲載日:2020年04月01日

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