就活をしているお嬢さんが、周りの人たちが決まっていく中で、自分は未だに決まらないので日に日に落ち込んで、とうとう病院にかかるほどに病んでしまったのです。
大学に入学した頃には、希望に溢れて光り輝いていたのにと、思ってしまいました。
保育士を目指し頑張っていたのですが、実習で躓いてしまったようです。
本人がその職業が嫌なら仕方がない、嫌なものは嫌なのだからと、周囲の人たちも、そう言って本人の意思を尊重しているようです。しかし、嫌なものは嫌なのだからでは、根本的な解決にはならないのです。
どこが、嫌なのか、どのような事が有ったから嫌になったのか、原因を追求しないままに、病院に通い薬を飲んでいても、それは治らないのです。
学校を卒業したから、みんな横並びで就職するとは限らないのです。自分というものを、よく知らない場合には、専門とする分野の読み間違いは往々にして有るものです。
人はそれぞれ、違っていいのです。
その時に、焦って辻褄合わせをすれば、先に行って苦労するのは、他でもない自分自身なのです。
法華経の中に薬草喩品第五という経文が有ります。
この中でみんな同じでなくていいのだよ、その人その人の成長の度合いに合わせた処し方をすれば、やがてはその人に合った道へと進むことが出来るようになると、説かれております。
苦しむことも、悲しむことも有るでしょう。それが有るからこそ、人を思いやる心も芽生えてくるのです。苦しみや悲しみから逃げないで、確りと受け止めて、咀嚼して、他人を思いやる心を育てて、同じく苦しんでいる人たちに、みんな同じでなくていいのよ…お話し出来るよう、努めてください。
あなたが、これから先、より好(よ)き路へと進まれますように…と、祈っております。
合掌
(文・東海教区 明光院 酒井 妙照)