天台宗について

法話集

No.106アリと乞食

 一般に乞食という言葉は、物乞いをする人を称する差別用語と思われています。
仏門では乞食(こつじき)と言い、僧侶が人家の戸口に立ちお経を読み、食を求めながら行脚する修行のことで、托鉢とも言い、受けた食材やお金は首に掛けた乞食袋(こつじきぶくろ)または頭陀袋(ずだぶくろ)と言う袋の中に納めます。この様に似ていることから物乞いする人を乞食(こじき)と呼ぶようになりました。
 托鉢で戸口でお経を読み始めると邪険に追い払われたりすることもありますが腹立たしく思わず心を無にして立ち去り、施しがあれば食を得ることになります。
 昔こんなことがありました。
あるとき自坊の庫裏の玄関前で「ごめんくださーい」と呼ぶ声がし、行って見ると歳をとった一人の乞食が立っていました。
ボロを着た老人は「何か食べ物をください」と乞うので、おにぎりを作り手渡しました。
 その場でおにぎりを食べた老人は、ポケットの中からお菓子の袋を出し玄関脇にしゃがみ「草むらの虫たちよ、しばし空腹を満たせよ」と言い底に残っていた菓子の粉をアリの前に撒きました。
 そして、ありがとうと言って戸を閉め立ち去って行きました。
不思議な気持ちになり慌てて戸を開け周りを見渡したのですが、姿はありませんでした。
 貧(ひん)しても貪(どん)ずることの無い老人の顔は柔和で仏様のように見え、貧しくとも余りあれば施しをする慈悲の心を忘れることなかれ…と戒められた気持ちになりました。
 伝教大師さまは、「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」と言われました。
 物に満たされている今、私たちは私欲に走っていないでしょうか・・・。
掲載日:2012年11月22日

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