天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第81号

宝満山と宇佐神宮に「宝塔」を建立

 宗祖伝教大師が、国家安泰、仏法興隆、国民安楽を祈念するための拠点にと、日本全国の六カ所に塔の建立を企画されたのが「六所宝塔」である。しかし、歴史の流れの中で失われ、当時のものは現在残っていない。そのため、伝教大師の遺徳を偲び、大師顕彰の意味を込めて法華経を納める宝塔(如法経塔)が、九州・太宰府宝満山の安西筑前宝塔跡と宇佐神宮に、それぞれ建立され、十一月十六日に宝満山で、また十七日には宇佐神宮で除幕法要が厳修された。

 六所宝塔は、比叡山に二カ所(近江国比叡山東塔、山城国比叡山西塔)のほかに、日本の東西南北(上野国浄法寺、下野国大慈寺、豊前国宇佐弥勒寺、筑前国竈門山寺)の六寺院にそれぞれ法華経一千部八千巻を納める塔の建立が計画されたものである。
 竈門神社のある宝満山の遺跡発掘調査は、平成二十年に太宰府教育委員会によって行われ、裾部の一辺が二十の基壇を持つ三間四方の礎石建物が発見され「本谷礎石群」と呼ばれた。
 その後の調査で基壇周辺より平安期の瓦や小金銅仏などが出土し、年代や文献とも一致した。こうしたことから、安西筑前宝塔と同一であると証明された。筑前国竈門山寺にあった宝塔は、太宰府鎮護のものであり「安西塔」とも呼ばれていた。 
 この発見が契機となり、天台宗では、天台宗開宗千二百年慶讃大法会の記念事業の一環として、宗祖伝教大師顕彰を含めて宝塔を建立することを計画。
 九州西教区が中心となって宝満山に、また九州東教区の尽力で宇佐神宮に宝塔が建立されたものである。
伝教大師は、遣唐使として出港する前年、延暦二十二(八○三)年に宝満山竈門山寺に籠もって、渡海の無事を祈り薬師如来四体を刻み、法華経を講じたとされる。また、同じく宇佐八幡大神を拝して、渡海の無事を祈ったと伝えられる。
 無事に入唐求法を終えて日本に戻った伝教大師は、弘仁五(八一四)年に宇佐神宮を巡拝し、神恩感謝のために、宇佐神宮に千手観音と大般若経と法華経一千部八千巻を奉納、宇佐神宮(当時は弥勒寺)に六所宝塔のひとつ安南の宝塔を建立することを発願されたのである。
 また慈覚大師は承和十四(八四七)年に唐より帰国した時、竈門山寺(当時は大山寺)に立ち寄り金剛般若経一千巻を転じた。その後、法華経一千部を納める安西宝塔が完成したといわれている。

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 次期宗務総長に阿純孝師が決定

 十二月十一日に任期満了を迎える宗務総長選挙の結果、後任に阿純孝師(東京教区・圓融寺住職)が就任することが決まった。十一月二十五日に当選証書が授与され、当選が確定した。
 
阿(おか) 純孝(じゅんこう)師
昭和十二年生まれ、七十二歳。早稲田大学文学部卒。昭和五十二年より圓融寺住職。宗務所長一期、宗議会議員一期を歴任。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 よく「次の手を読む」なんて言いますが、実は読むよりも読まないほうが大事なんです。

谷川浩司

 谷川さんは、十四歳でプロ棋士デビュー、二十一歳で史上最年少の名人位を獲得し、九十七年に羽生善治名人(当時)を破り永世名人(第十七世名人)となりました。
 私たち素人は、プロの棋士は対局中に何百手も先を読んで勝負していると思っています。もちろん、相手の動きとその対応を「読む」ことができなくてはプロにはなれません。しかし長い対局の間には形勢がどんどん動いていきます。
 プロ同士の将棋は平均して百十手ほどで勝負がつくものだそうです。その勝負の中に、貫かれている太い幹、すなわち全体を見なくてはならないのです。
 「百の手があるとすれば、そのうち九十七は読まない」、本筋に近い三つの手について考える。大局的な感覚こそが必要だと述べています。
 私達は、毎日の生活で「ああでもない、こうでもない」と、あくせく「読んで」います。
 たとえ読んだとしても、その通りにうまく運ぶことなどないことは実生活でさんざん証明済みです。けれども私達は「こうすれば、ラクか。ああすれば得か」と読むことをやめられません。
 プロ、すなわち人生の達人になるのなら「枝葉にとらわれてはいけない」のです。
 「勝とう」という気持ちよりも「いい勝負をしよう。いい棋譜を残そう」という気持ちが大事です。その気持ちが歴史に残る大勝負を残してきました。人生も同じです。いい人生を生きようと心がけることが大事だと思います。
 興味深いのは、将棋は勝負の世界、実力の世界なのに「永年みていると自分のことだけでなく、周りの人に配慮して生きている人が生き残っているように思います。『いろんな人に応援される』という見えない力も加わる。将棋の神様はちゃんとみている」と谷川名人が語っていることです。

鬼手仏心

新しき政治を迎えて  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 木枯らしの吹く季節。温暖化とは言いながら、やはり季節は確実に冬に向かって足早に過ぎて行く。昨年の年越しは、折からのリーマン・ブラザーズの金融ショックで、行き場を失った人々が、テント村に集まり、寒空の下で歳末を迎えた。今年はそんなことにならないよう願いたいが、まだまだ日本経済の現状は厳しい。
 政権が交代し、「友愛」を旗印とする政治に多くの期待が寄せられた。しかし、実際に運営の責任者となると、現実を無視することは出来ず、掲げた理想との狭間で決断に躊躇せざるを得ないことも多くなろう。
 来年度予算編成の課程で政府は事業見直し、いわゆる「事業仕分け」に懸命である。三兆円の目標を立てて現在、緊急性のない事業、無駄な事業を聖域なく見直していくという。税収が大幅に減収となる中では当然のことではあるが、しかし、問題はその使い道で、闇雲に選挙公約を実現するための資金調達であってはならない。マニフェストも現実に即して見直しても良いのではないだろうか。例えば、高速道路の原則無料化や、ガソリン暫定税率廃止などは緊急性は低く、公約から除外しても国民の支持を得られるのではないか。
 また、国民の側としても、あまりに行政頼りであった市民生活を考え直す時期でもある。地域美化事業や、環境保全事業など、地域住民のボランティアでカバーでき、税金を使わなくても出来る事業もあるはずだ。また、このような活動が、地域社会の連帯意識の再生にも繋がることにもなるのではないか。
 木枯らしは冷たくとも、人々の温かい心で支え合う歳末でありたい。そして来る年が明るい希望に満ちた年になるよう心から祈りたい。

仏教の散歩道

ゆったりと生きる人生

 わたしたちが何のために仏教を学ぶかといえば、その教えを生活に生かすためです。でも、その生かし方がなかなかむずかしいのです。
 たとえば、二人のきょうだいにケーキが一つしかなければ、親は子どもに「半分こして食べなさい」と教えます。それが「布施」の思想であることはまちがいありません。
 だが、そのお子さんが、下校のときに自分の傘にお友だちを入れて、相合い傘で帰って来たら、親はどう思いますか? 二人とも濡れます。ずぶ濡れになって帰って来た子を、親は褒めることができるでしょうか?
 ある意味では、仏教の教えを学ぶと損をします。得をしたいのであれば、むしろ仏教なんか学ばないほうがよさそうです。
 それから、仏教の教えを学んでも、あまり問題解決にはなりませんね。
 たとえば病気になったとき、問題解決というのはその病気を治すことです。でも、いくら仏教を学んでも病気は治りません。病気を治したいのであれば、やはり医者に相談したほうがいいでしょう。
 貧乏を苦にして―問題にして―金持ちになるために仏教を学ぶというのは、完全なお門(かど)違いだと思います。
 仏教は、問題解決の方法を教えてくれるのではありません。仏教が教えてくれるのは、病気になれば、病気を苦にすることなく、病気のまま明るく、楽しく、安らかに生きる、人間らしい生き方です。貧乏な人が、貧乏なまま幸せに生きる生き方を、仏教は教えてくれるのです。
 悲しいときには悲しいままに、苦しいときには苦しいままに、明るく、ゆったりと人生を生きる、そのような生き方を学ぶために、わたしたちは仏教を勉強するのです。悲しみを紛らわしたい(問題解決をしたい)のであれば、あんがい酒でも飲んだほうがましかもしれません。
 わたしたちがこの競争社会の中で、競争の勝者になりたい、敗者になりたくないと思えば、どうしても他人の足を引っ張るような生活をせざるを得ません。得をしたい、損はしたくないと思えば、がつがつし、いらいらし、あくせくとした人生を送るはめになります。でもね、<ちょっとくらい損をしたっていいではないか>と思うことができれば、もう少しゆったりとした人生を送ることができるでしょう。その意味で仏教は、わたしたちに、
 ―損をする勇気―
 を教えてくれているのです。もちろん、大損をせよというのではありません。あなたができる、ほんのちょっとした損でいいのです。
 仏教を学んで金儲けができるわけではありません。病気が治るわけではない。仏教は、わたしたちが人生をゆったりと、のんびりと生きる、その生き方を教えてくれているのです。

カット・酒谷 加奈

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