天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第44号

北朝鮮の核実験反対を決議 第111回通常宗議会

 天台宗の第百十一回通常宗議会は、十月十七日に招集され、会期を一日短縮して十九日に閉会した。今回の議会では、世界を震撼させた北朝鮮による核実験に対して強く非難する議会決議が採択された。

 今議会の決算委員会では、平成十七年度通常会計歳入歳出決算等が審議され、可決承認された。 
 濱中光礼宗務総長は執務方針の中で「国際世論を無視して核実験を強行する国も現れるなど、世界は常に危機にさらされている」とし、明年八月に行われる「比叡山宗教サミット二十周年記念世界平和祈りの集い」では世界の諸宗教代表者を招き、相互理解と対話を深め、一日も早い世界平和実現に取り組みたいとの姿勢を示した。
 一隅を照らす運動については、現在進行中の機構検討とも関連するとしながらも「外部に置かれている総本部は天台宗の組織として、組み入れることも検討いたしたい」と述べ、発足以来三十七年を経た一隅を照らす運動全体を考える必要があることを示した。また予算委員会では、天台宗務庁のコンピューターは導入以来十五年が経過しているため、来年度から機械設置と新プログラムに移行する準備を行うための補正予算と、相次ぐ市町村合併のため、今年中に発刊する寺籍簿の補正予算が可決承認された。
 また、全議員が委員となる特別委員会では、 開宗千二百年慶讃大法会費特別会計収入支出補正予算案が審議され、鹿児島・広島・沖縄の三県に重点布教を行う「三県特別布教推進費」の充実に対して補正が認められた。
 更に、去る十月九日に強行された北朝鮮の核実験については、世界唯一の被爆国として、また恒久平和を希求する宗教者として「世界の平和安定を脅かす重大な脅威」とし、断じて容認することはできないとの立場から、全会一致で反対決議が採択された。


『朝鮮民主主義人民共和国における核実験に対する反対決議文』

 我々、天台宗宗議会は、人類史上世界唯一の核被爆国の仏教宗団として、いかなる国の核実験、核兵器の製造、核装備、核拡散につながる技術移転、取引等の非人道的目的を持つ、国益、国際的発言力強化の企てに、強く反対する。去る十月九日実施された朝鮮民主主義人民共和国発表に依る核実験に対し、宗憲、宗旨に基づき強く抗議し、北東アジアのみならず世界の平和安定を脅かす重大な脅威となり得る今回の実験に、非核、核兵器廃絶、核不拡散を恒久平和の為、求め続ける立場より反対し、全会一致で決議する。

   平成十八年十月十九日       天台宗宗議会

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蒼穹に天女舞う ~舟底天井画を復元・三千院門跡

 京都の三千院門跡(小堀光詮門主)では、開宗千二百年を記念して建設中であった新収蔵庫「円融蔵」が完成し、十月十六日に落慶奉告法要ならびに内覧会が行われた。
 円融蔵の内部には、平安期に建立された往生極楽院(重文)の舟底天上に描かれていた天井画(写真)が、当時そのままに再現された。
 永年にわたる護摩修法などで、極楽院の天井画は劣化が激しかったが、赤外線カメラなど最新技術を駆使した復元調査で原画デザインをつきとめ、日本画家の馬場良治氏が彩色顔料も当時そのままのものを使って、鮮やかに修復した。
 円融蔵天井には、群青の天空にハスの花びらが降り注ぎ、天女が舞う、千体仏、両界曼荼羅なども描かれるなど、極楽の様子が細密に描写された。天井画には、落慶当日の朝まで筆が入れられ、参加者は感歎の声をあげていた。三千院で、一般に公開中。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴りいだすだろう

八木重吉 「素朴な琴」より

 もちろん、これは実際の風景ではありません。想像のものです。しかし、美しい秋の中に置かれた琴がしずかに鳴りだす、その音色は、聴こうという気持ちがあるなら、誰の耳にも響くでしょう。
 法華経の観世音菩薩普門品(観音経)に「梵音(ぼんのん) 海潮音(かいじょうおん)」という言葉があります。
 「すばらしい声、すばらしい調べが、この地上に充ち満ちている」という意味ですが、誰にでも聞こえるわけではありません。その音を聞きとる耳を持たなくてはならないというのです。
 仏教というすばらしい教えがこの世にあるのに、それを知ろうとしなくてはならないという戒めにも通じるものがありますが、ここは素直に「この世には、美しい、すばらしい調べが充ち満ちている」ことに賛同したいと思います。
 「聴無声」というのは荘子の言葉ですが、「声なき声を聴く」という意味です。
 観音様は、苦しむ人々の声なき声(音)を観じて救ってくださる仏さまですから、観音様というのです。たとえ声に出して苦しいといわなくても、心で「助けてください」と念ずれば、その気持ちは観音様に届くのです。
 「梵音 海潮音」に続いて観音経は「勝彼(しょうひ) 世間音(せけんのん)」といいます。観音様の妙音、世を観ずる音、すなわち慈悲は世間にない勝れた音であるというのです。
 イギリスの詩人キーツは「耳に聞こえる調べは美しい だが聞こえない調べはさらに美しい」といいました。観音様の慈悲の音は、最も美しい音のひとつでしょう。

鬼手仏心

「子どもの受難」  天台宗出版室長 谷 晃昭

 
 子どもの受難が相次ぐ。
 非力で無辜な子どもがどうしてこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。本来保護されるべき存在である子どもたちの受難に心痛む毎日である。
 戦争や紛争、また、過激な思想集団によるテロ行為による犠牲者も痛ましい。施策の失敗による貧困や餓死もまた痛ましい。
 しかしこれらの悲劇は少なくとも親やそれに代わる庇護者から直接裏切られた悲劇ではなく、情況の中で精一杯の愛につつまれた悲劇であったかもしれない。
 それに比べ、昨今の日本で起こる事件の異常性はいったいどこに由来するのだろうか。豊かな国の代名詞とも言える日本での子どもの受難は、政治的な混乱や、貧困のただ中にある事象より、人間性の本質が変容した結果であるとすればより深刻に受け止めざるを得ない。
 自然界で「種の保存」は基本的な行動で、親が子を守り、群れが互いを庇い合う。
 しかし人工的な環境で飼育されたり群れから切り離された動物の中には子育て放棄や、その方法を習得できないものが見られるそうである。
 こう考えると「子孫を残す」という行動も本能として必ず持っているものではなく、学習によって習得される行動であると言える。
 日本の社会は戦後大きく変容してきた。その中でも家族、家庭の在り方の変化は著しい。
 大家族が核家族に、そして家庭が個室になっていく中で、群れとして学習する、いわば「群育」ができなくなってきたことに今日の問題の原因を感じる。
 安部内閣は重要施策の一つに教育をあげている。ぜひ知育・徳育・体育とともに群育と宗教情操教育に目を向け「美しい国、日本」の実現をお願いしたい。

仏教の散歩道

「ご縁によって…」 ひろ さちや 

 ある企業での話です。その会社の命運を決しかねないプロジェクトを推進するために、十五名から成るプロジェクト・チームを発足させました。もちろん、会社の中の各部門から実力ナンバー・ワンのエリートを集めたわけです。
 ところが、そのプロジェクト・チームが発足したとたん、チームの中に落ちこぼれの人間が発生したのです。何をやらせてもへまばかりし、遅刻の常習犯で、おまけに無断欠勤もします。どうしようもないクズ社員が出来ました。
 だが彼は、本来は出来の悪い人間ではありません。その逆です。彼は優秀な社員であったからこそ、そのエリート集団に選抜されたのです。
 ということは、優秀な人間か、優秀でないかは、その人の本来の性質というよりは、他人との関係で決まることです。そのことを仏教の言葉で言えば、
 ― ご縁 ―
 と呼びます。ある人はご縁によってエリートになったり、またご縁によって落ちこぼれになります。エリートはたまたまエリートになれたのであり、落ちこぼれは運悪く落ちこぼれになっただけです。別の集団に組み込まれたら、エリートになれずに落ちこぼれになったかもしれないし、落ちこぼれがエリートになれたかもしれないのです。
 イタリアの経済学者のパレート(一八四八~一九二三)は、経験的事実にもとづく数多くの、
 ― パレートの法則 ―
 をつくりましたが、その中にこんなのがあります。
 すなわち、企業の中においては、よく仕事の出来る二割のエリートが全体の仕事の八割をやってのけ、残った八割の人間で二割の仕事をやっている、というのです。そうするとエリートは、八割の普通の社員の十六倍の仕事をやっていることになります。
 そしてパレートは、優秀な二割のエリートばかりを集めてきて、新たなチームをつくっても、その新たなチームのうちの二割が優秀になり、残りの八割は普通の社員になるそうです。そのことは、どこかのプロ野球チームが四番バッターばかりを集めたチームつくりましたが、結局四番バッターらしい仕事をしたのは約二割だったことでも立証されています。また、高校の成績のいい者ばかりを集めた一流大学においても、落ちこぼれが出来るのです。みながみな、優秀になるわけにはいかないのですね。
 だからわたしたちは、かりに自分が優秀であっても、傲慢になってはいけません。いいご縁がいただけて優秀にさせてもらっていると考えて、ご縁に感謝すべきです。また、不幸にして落ちこぼれになっても、悲観しないでください。たまたまご縁がいただけなかったと思ったほうがいいのです。そして、明るくゆったりと生きるようにしましょう。
 それが仏教の考え方なんですよ。

カット・酒谷 加奈

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