天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第39号

5月27日 比叡山で「ほうとうの森」大植樹祭開催
自然環境保護への思い新たに

 あざやかな新緑に彩られた霊峰・比叡山で去る五月二十七日に「比叡山『ほうとうの森』大植樹祭」(毎日新聞社、天台宗開宗千二百年大法会事務局、比叡山延暦寺共催)が行われた。同日は全国から公募した千二百名が参加、広葉樹の苗木一万二千本を植樹し、自然環境保護への思いを新たにした。

 当日は、午前十一時から植樹地近くの「峰道レストラン」で受付が始まり、参加者に植樹地の地図やスコップ、軍手などが手渡された。植樹の場所は、奥比叡ドライブウエイ沿いでいわゆる行者道の周辺。
 参加者達は、宮脇昭・(財)国際生態学センター研究所長(横浜国立大学名誉教授)の植樹指導を受けた後、植樹場所に移動。約百名の植樹リーダーの手伝いの下、それぞれ十本づつ苗木を植えた。
 植樹後、峰道レストラン駐車場にて酒井雄哉大阿闍梨が参加者を前に法話を行った。

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延暦寺執行に清原師

 総本山延暦寺では、指定暴力団の永代回向問題で、前内局が引責辞任したため、後任の執行(代表役員)選挙に入り、五月二十八日、新執行に延暦寺一山弘法寺住職である清原恵光師(七二)の当選を発表した。清原執行は、同二十九日には新内局六名を指名し、渡邊座主から新内局に辞令が親授された。清原内局は、総本山延暦寺の信頼回復に全力で取り組む。
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 新しく任命された延暦寺内局は法務部長に梅山龍円師、財務部長に森定慈芳師、教化部長に山本光賢師、管理部長に小堀光實師、参拝部長に横山照泰師、総務部長に小林祖承師がそれぞれ就任した。
 総辞職した前内局からの留任は、山本、横山の二部長となった。
 清原師は一九九七年と二〇〇〇 年に二期執行職を務めており、今回が通算三期目。執行を三期務めるのも、森定師のように執行経験者が部長として入局するのも極めて異例である。それだけに、今回の不祥事に対して総本山の総力を挙げて取り組む姿勢が鮮明にされたといえる。
 清原執行は一九三三年大津市生まれ。大正大学修士課程修了、延暦寺副執行、叡山学院院長などを歴任。清廉、剛直な性格で知られ、前内局の総辞職時以来、天台宗からも清原師の就任を望む声が多かった。
 清原内局は総本山のみならず全天台宗の期待を受けて、総本山の信頼回復と再生に取り組む。任期は三年。

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天台宗務庁 総務部長に谷 晃昭師

 天台宗総務部長の小林祖承師は、新しく発足した総本山延暦寺清原内局の総務部長として入局するために五月二十六日付で辞任した。
 後任の天台宗総務部長には谷晃昭教学部長が就任した。当分の間、教学部長の職務は谷総務部長が代行する。
 谷新総務部長は昭和二十三年生れ。大正大学仏教学部卒。一隅を照らす運動総本部次長、宗議会議員三期。関東の宗議会会派新成会幹事長など歴任。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

なにかおれも配達しているつもりで/今日まで生きてきたのだが/人々の心に何かを配達するのが/おのれの仕事なのだが/この少年のように/ひたむきに/おれは/なにを配達しているだろうか

高見 順 「新聞少年」より

 これは作家で詩人である高見順氏が亡くなる直前に残した詩です。
 激しい風雨の中、新聞を濡らさないように一所懸命、身体でかばって配達している光景を目撃したのです。病室の窓から飛び込んできた健気な少年の姿は一瞬にしてこの病める詩人にこれまで生きてきた人生に対して反省を迫ったのです。
 己の人生の使命を信じ、ひたすら仕事に打ち込んで来たつもりだったのに、本当にその使命を果たしてきたのだろうか?そんな疑念を起こさせるほど強烈な印象だったのでしょう。
 この世の中がスムーズに廻っていくのも、この少年のように地味で辛い無数の仕事が、縦糸となり、横糸となって日々を織りなしているからです。そのことを目の当たりにした感慨だったのです。
 心に何かを配達することを仕事としている私達にとっても、まさに伝教大師の「一隅を照らすこれ則ち国宝なり」という言葉を思い起こさせる詩です。

鬼手仏心

光の贅沢  天台宗法人部長 壬生 照道

 
 雨に濡れた緑がきれいな季節になった。
 五月の太陽に照らされた緑も美しいが、雨期、曇天というほの暗い天候では、いっそう深く、しっとりとした情感をみせる。何よりも、気持ちがすっと落ち着くのがよい。
 日本人は、煌々とした光に照らされたものよりも、薄明かりにほのかに浮かぶものに美しさを感じるのだという意味のことを、谷崎潤一郎が「陰影礼賛」で書いている。
 『大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く光の届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか』と谷崎は問いかけている。
なるほど、例えば延暦寺の御仏も、暗い堂宇の中にほのかに見えたまい、そのお体の金が「ぼうっと夢のように照り返して」いるゆえに一層神々しさを感じるのであろう。
 加えて延暦寺のお堂はどれも古く、また大きい。谷崎の挙げた陰影の美が結実している。まさかに、陰影の演出と効果まで計算したわけではないだろうが「美しさ」と「畏敬」とは重要な課題であったと思われる。
兵庫県浄土寺のように、阿弥陀三尊像の背後から黄金に輝く西日を取り込んで弥陀の来迎を示すという例もあるにはあるが、いにしえに建てられた寺の多くは蝋燭に頼るよりほかはなく「光の贅沢」はできなかったのである。
 現代は、容易に光を手にいれることができる。しかし延暦寺はそのようなことはしていない。
 本当に落ち着いた雰囲気で、人々をお迎えしたいという姿勢からである。

仏教の散歩道

共命鳥(ぐみょうちょう)の失敗

 極楽世界に共命鳥(ぐみょうちょう)という鳥がいます。もちろん、空想の動物です。
 この鳥はちょっと変わっていて、身体は一つでありながら、頭が二つあるのです。そしていい声で鳴きます。
 ところが、あまりにもいい声だもので、二つの頭がそれぞれに、
 ー競争意識ー
 を持ったのです。不思議なもので、美声の持ち主のほうが競争意識を抱きます。わたしのような音痴だと、カラオケで美声を発揮しようもありませんから、競争意識はありません。うまい人のほうが、自意識過剰になりますね。
 それで競争意識を持った結果、二つの頭がそれぞれ相手を憎むようになり、
 〈こいつさえいなければ……〉
 と思うようになりました。そして、なかには、相手の食べる餌に毒を入れる者まで出てきたのです。
 おわかりになりますね、体は一つですから、相手を毒殺すれば、自分も死んでしまいます。でも、競争意識のなせるわざで、そんなこともわからず多くの共命鳥が死んでしまったのです。
 生き残った共命鳥は反省しました。そうして、
 ー絶対に競争をしてはいけない。自分が生きるためには、相手も生きられるようにしないといけないー
 といった取り決めをしたそうです。これは、いわゆる、
 ー共生原理ー
 ですね。「競争原理」を廃し、「共生原理」を採用することにしたわけです。
 その結果、共命鳥は極楽世界の鳥になったのです。
     *
 現在の日本社会は、激烈なる競争社会になっています。また、一部の政治家は、人々の競争意識を煽り、日本を格差のある社会にしようとしています。
 けれども、人間が競争意識を持つと、その社会は地獄になります。世の中は、誰かが得をすれば誰かが損をするのです。ところが、他人が損しても構わない、自分が利益を得ればそれでいいのだ、といった競争原理に立脚すれば、受験地獄だとか通勤地獄だとか、社会は地獄の様相を呈し、人間はゆったりと生きることができません。それが証拠に、競争意識を煽った政治家が出現したとたんに、日本では兇悪犯罪が増えています。平気で他人を殺す。他人ばかりか親が子を殺し、子が親を殺す、仲間で殺し合いをするといった、共命鳥がやった失敗を、多くの日本人がするようになりました。
 わたしたち仏教者は、政治家に向かってきっぱりと言わねばなりません。
 「競争原理は地獄の原理だ!共生原理こそ極楽の原理なんだ」と。
 

カット・酒谷 加奈

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