天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第278号

藤光賢天台座主猊下御親修

 12年一度の本尊御開帳大法要

  九州西教区 大興善寺

 九州西教区大興善寺(神原玄晃住職・佐賀県基山町園部)で、12年一度の秘仏御本尊の木造十一面観音菩薩立像の特別御開帳が行われている。

 今年は開創千三百十年、さらに4月25日に50年ぶりとなる天台座主猊下の「御親修」による本尊御開帳大法要が奉修された。

 この日は朝から法雨が降り注ぐ中、歴史的な勝縁に触れようと朝から多くの参拝者が訪れ、静かに合掌する姿が見られた。

 大興善寺は、奈良時代の養老元年(717)に行基菩薩が御本尊十一面観世音菩薩を彫刻、安置したのを寺の始まりと伝えられている。

 その十一面観世音菩薩立像は、高さ177㎝を誇り12年に一度、午年に御開帳される。「小松の観音様」と崇められ、広い信仰を集めている。

 また大正9年に96世住職に就任した神原玄祐大僧正が裏山につつじの花を植栽し、今では約5万本が咲き誇る契園があり、全国から参拝者が訪れ「つつじ寺」の愛称で親しまれている。

 同寺への天台座主猊下の御親修は、昭和53年(1978)に教区主催の伝教大師ご出家得度一千二百年慶讃法要で山田惠諦座主猊下が大導師を務められて以来約50年ぶりとなった。この勝縁に、本堂屋根葺き替えを実施し、後世に繋げる事業を完遂した。

 法要は、藤光賢座主猊下を大導師に肥前東部住職の出仕で法華三昧を奉修し千三百十年の節目と御開帳期間の安寧が祈願された。

 天台宗の細野舜海宗務総長、延暦寺の即眞永周副執行、阿部昌宏前宗務総長ら多くの来賓も随喜した。

 法要後、藤座主猊下はお言葉で「大興善寺の法灯を檀信徒はじめ多くの皆さまの信仰によって、より輝かせて欲しい」と願われた。

 続いて細野宗務総長は「御本尊の慈悲が人びとの荒んだ心を癒し、共生社会を築くための導力となるでしょう」と語り、即眞副執行は「御本尊の功徳が弘められ、更なる寺門興隆を願っている」と期待を述べた。また嘉瀬慶文宗務所長、松田一也町長からも祝辞が寄せられた。

 神原玄應名誉住職は、同寺の由縁を改めて回顧し「昭和53年に特別寺となって以来、宗務総長が来山されたのは初めてとなった。多くの皆さまのお支えのお陰で今日がある。90歳を超えたが、寺の発展と天台宗の法灯が益々栄えるよう、まだまだ精進していきたい」と決意を披露された。

 最後に玄晃住職からは「藤座主猊下のもとで法華三昧、観音経をお唱えし、仏さまと出仕、随喜してくださった皆さま方のお力での法要を有り難く感じた」と感謝を述べた。

 御開帳期間は、5月7日まで。境内も初夏の新緑が美しく、参拝者の心を和ませている。静寂に包まれた本堂で、時代を超えて人々を見守り続けてきた御本尊の慈悲を肌で感じることができる貴重な機会となる。
拝観に関する詳細は、大興善寺の公式ホームページへ。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

掃除を通して心の荒みをなくし、 世の中をよくしていきたい

 カー用品店チェーン大手のイエローハット創業者である鍵山秀三郎氏は、19 61年に株式会社ローヤル(現イエローハット)を創業しましたが、当時の社内は荒れ、社員の態度も決して良いとは言えなかったそうです。そこで始めたのが、たった一人での「便所掃除」でした。

 人間は汚い場所では心が荒み、美しい場所では心が穏やかになる。環境を整えることが、人間の精神を救う最短ルートであると考えたのです。

 鍵山氏と共にトイレ掃除を行った非行に走った少年たちが涙を流し、更生していく姿は多くの感動を呼び話題になりました。そして多くの経営者も氏の姿勢に共感し、自社の掃除を自ら行うことで社風を改善させています。

 鍵山氏は、「大きなことはできなくても、目の前のゴミを一つ拾うことは誰にでもできる。その積み重ねが世の中をよくするのだ」と説き続けました。

 仏教の教えの中にも、周利槃特の逸話が有名です。お釈迦様の弟子の中で、物覚えが悪いと言われた周利槃特は自分の名前すら覚えられませんでした。

 お釈迦様から一本のほうきを授かり「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら掃除をし続けるよう命じられました。

 何十年もひたむきに掃除を続けた彼は、ついに「汚れとは場所のことではなく、執着や怒りといった自分の心のことだ」と悟りを開いたのです。

 鍵山氏がたった一人で始めた便所掃除は、『掃除は心の修行である』という仏教の教えを、現代社会で体現した姿でしょう。私たちもほうきを手に取る時、単に部屋を綺麗にするだけでなく、自分の中に眠る仏性(清らかな心)を呼び覚ましているのかもしれません。

鬼手仏心

平和な社会

 桜が満開の季節、役員宿舎前で幼い子どもたちがお母さんと楽しそうにシール交換をしている光景を目にしました。
 
 一見すれば、これ以上ないほど平和で微笑ましい日常のひとコマです。しかし、この平穏な風景の裏側で起きた悲しい事件が、先日新聞に報じられていました。

 シールの有無が原因で仲間外れにされる子ども、そして その輪に入れてやりたい一心で万引きを繰り返してしまった親・・・。

 この出来事は、私たちの平和がいかに脆い土台の上に立っているかを物語っています。平穏に見える日常のすぐ足元には、嫉妬や孤独、自己中心的な欲望といった「心の葛藤」が常に見え隠れしています。

 世界に目を転じれば、戦争によって両親や平穏な暮らしを奪われ、心身に深い傷を負った子どもたちが数多く存在します。

 もし仏さまの目線で地球を遠くから眺めたならば、あちこちで争いの火花が散り、憎しみが連鎖する様子は、さぞかし悲しく映っているのではないでしょうか。

 「怨みを以て怨みに報ずれば、怨み止まず。徳を以て怨みに報ずれば、怨み即ち尽く」。 伝教大師は、この言葉を遺されました。争いに対して争いで応じれば、憎しみの連鎖は永遠に止まりません。では、この言葉にある「徳」とは一体何でしょう。

 それは、自分一人で生きているのではなく「お陰様で生かされている」という事に感謝し、人の痛みを分かち合おうとする慈悲の心だと思います。

 平和な日常は、決して当たり前のものではありません。私たち一人ひとりが心の中に「徳」を育み、目の前の小さな争いから目を逸らさず、歩み寄る努力の積み重ねこそが、仏さまを微笑ませるような真の平和な社会をつくる一歩になるでしょう。

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