天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第276号

明年の開創40周年
大本堂建立20周年へ

インド禅定林
法要とプレイベントに20万人が参拝

 インド・ナグプールにある禅定林(サンガラトナ・法天・マナケ住職)で2月6日から8日までの3日間、開創39周年並びに大本堂建立19周年記念法要が奉修された。

 日本からは一隅を照らす運動総本部の荒樋勝善総本部長、PMJパンニャ・メッタ協会日本委員会の谷晃昭理事長らが出席。各仏教国から参加した僧侶らと交流を深めた。

 また明年に開創40周年、大本堂建立20周年の節目を控え、講演会やプレイベントが開かれ現地では期待や気運が高まっている。

 インド禅定林は、インド中央部デカン高原東部にあるナグプールから車で2時間ほどのポーニ市ルヤード村に19 87年、日印の仏教関係者らによって建立された寺院。インドにおける大乗仏教の拠点となっている。

 住職を務めるサンガラトナ・法天・マナケ師(サンガ師)は、インドで大乗仏教を再興する指導者になって欲しいとの父親の願いを託され、9歳の時に来日。堀澤祖門探題大僧正の下で出家得度し、インドに帰国する1985年まで比叡山延暦寺で修行した。

 インドで宗祖伝教大師の御精神を敷衍しており、PMSパンニャメッタ・サンガ(智慧と慈悲の協会)を設立し孤児院や幼・保育園、小中学校の運営、僻地巡回医療、青少年育成、女性の権利向上などの福祉活動を展開している。

 毎年、建立日の2月8日を中心に記念法要を奉修しており、今年も20万人(現地警察発表)の仏教徒が集った。

 日本からは、PMSの日本側の窓口として活動を支えるPMJパンニャ・メッタ協会日本委員会の谷理事長、横山照泰事務局長、そして天台宗から荒樋総本部長ら12人が2月4日から7泊8日の日程で訪印した。

 一行らは2月6日、ドンガルガル市南部にあるプラジュニャ・ギリ山(智慧山)の釈迦牟尼大仏前で世界平和祈願法要に参列。法要後の式典では、日本からの参加者とサンガ師が約5万人の仏教徒らに講話した。

 翌7日は、改宗広場でのアンベードカル大学の学生による歓迎式典に参加し、現地メディアからの取材を受けた。また昨年から始められた開創40周年に向けての仏教講演会「ダンマ・フォーラム」に出席。チベット仏教学者やタイ、ミャンマー、日本の僧侶らが講話し、各国仏教界の現状や平和への願いなどが語られた。  

 8日の記念法要は、仏旗を先導に禅定林までの約2㎞の大パレードで開式。特設の壇上では、谷理事長を導師に日本式、次に上座部インド式とチベット式による法要が奉修された。

 続く記念式典では、釈迦像、伝教大師像、仏教改宗運動を主導したアンベードカル像へ献灯献花し報恩感謝を捧げた。また若者や子どもたちが所属するPMSユースが、小遣いや食費の一部から貯めた募金を一隅を照らす運動総本部地球救援募金へ寄託した。

 なお一隅を照らす運動総本部からも、パンニャ・メッタ子どもの家に目録が贈呈されている。

 荒樋総本部長は「めざましい経済発展の一方で、マイノリティである仏教徒は、医療や教育などで厳しい状況に置かれており、支援するサンガ師への期待はますます高まっている」と現状を語る。

 その仏教徒らの信仰の拠り所である禅定林は、厳しい気象条件による影響で、屋根の損傷が激しく修繕する必要があるという。

 PMJでは「来年は記念行事として授戒会も希望されていると聞いた。サンガ師の活動への支援者が増えることで、インドの仏教徒らを救うことにも繋がる。

 来年の記念法要を通じて、伝教大師様の忘己利他の精神がインドに広まるよう支援活動を続けたい」としている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

雨垂(あまだ)れ石を穿(うが)つ

日本のことわざ

「雨垂れ石を穿つ」は「小さな努力でも根気よく続ければ、最後には成功する」という意味のことわざです。広く親しまれているので、すでにご存じの方も多いことでしょう。

 この言葉の由来は『漢書』で、紀元前2世紀ごろ、前漢の家臣である枚乘(ばいじょう)が呉(ご)王を諌(いさ)めるために用いたとされています。

 しかし、それよりもさらに4世紀ほど前、お釈迦さまは入滅される前の最後の教えとして「少水常流如穿石(しょうすいつねにながれていしをうがつがごとし)」という言葉を残されました。

 「わずかな水の流れでも、絶え間なく流れていればいつしか固い石も砕いてしまう」というこの教えは、まさに「雨垂れ石を穿つ」と同じ真理を説いています。お釈迦さまの叡智(えいち)が中国へと伝わり、このことわざの源流となったのかもしれませんね。

 さて、努力の結実といえば、2月に行われた冬季オリンピックの選手たちの活躍が記憶に新しいところです。栄光に輝いた選手たちは、私たちが想像もつかないような歳月を鍛錬(たんれん)に捧げてきました。若きアスリートたちが人生の大部分を費やして掴(つか)み取った結果には、ただただ尊敬の念を抱かされます。

 もちろん、誰もがオリンピック選手のような目覚(めざ)ましい結果をあげられるわけではありません。しかし、他人と比べる必要のない「できた!」という達成感であれば、誰しもが得られるはずです。達成感とは自分だけのものであり、誰にも奪われることはありません。

 指先に触れても痛みすら感じない一滴の水が、休まず同じ場所に落ち続けることで巨大な岩をも穿つ─。その「継続」がもつ静かなるすさまじさは、私たちの日常の積み重ねにも通じます。

 今日という日の一歩を大切に、コツコツと歩みを進めることで得られる満足感こそが、あなたにとっての「自分だけの栄光」となるのではないでしょうか。
 

鬼手仏心

戦後80年を迎えて

 昨年、終戦80年を迎えました。自坊のある宮城県仙台市では昭和20年(1945)7月10日にアメリカ軍による戦略爆撃、いわゆる仙台空襲がありました。

 この空爆により被災人口57321名、被災家屋11933戸、死者は1000名以上に上ります。市内は焼け野原となり、わたしが住職を務める光圓寺も、B29による爆撃を受けご本尊と本堂を含めた全伽藍が全焼しました。

 戦後生まれのわたしに、師父は空襲後の町や寺の惨状をよく話してくれました。何もない焼け跡を、師父が棒を持って地面を叩いていると「コツン」と音がしたそうです。

 そこは元々須弥壇があった場所で、出てきたのは初めて見る鉄製のお不動さまでした。結果的に、約2mあったご本尊の不動明王像の体内仏だと分かりました。現在は、金箔を貼って彩色を施し厨子に納め、須弥壇に奉安しています。

 また境内には、空襲で亡くなられた多くの身元不明のご遺体が安置されたと聞いています。火葬したご遺骨は永代供養塔に納めさせていただいております。

 戦後、光圓寺にあった墓地は、区画整理で仙台市営墓地北山霊園の一部に移管され、境内も昭和34年頃に墓地近くの青葉区北山の現在地に移転しました。

 戦没者の方々は、きっと平和でなにげない日々を望まれていたことでしょう。今の平和と繁栄があるのは、犠牲となられた方々のお陰です。感謝の気持ちで供養を続けております。

 宗祖伝教大師は、『山家学生式』に「一隅を照らすこれすなわち国宝なり」と著され、個々人がそれぞれの場所でベストを尽くし、慈悲の心を持つことで平和な世の中(仏国土)を築くことを説かれています。

 皆さまにも「一隅を照らす」を心に留めながら日々を過ごして欲しいと願っております。

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