天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第275号

藤猊下上任後初の年賀式
比叡山延暦寺

菩薩行の実践で真の平和を

 令和8年延暦寺年賀式が1月8日に延暦寺会館で開催され、宗内外諸大徳や政財界関係者ら約350名が新年の門出を祝った。藤光賢天台座主猊下は「宗祖伝教大師のみ教えを常に心に保ち、真の平和が訪れますよう菩薩行を実践ください」と呼びかけられた。また、比叡山から発信する言葉「天知恩」が披露された。

 年賀式は藤猊下を大導師に、一山住職出仕のもと奉修。獅子王圓明延暦寺執行が新年の挨拶を藤猊下に言上した。

 藤猊下は〝お言葉〟で、「昨年は戦争の悲惨さを風化させない取り組みや国際情勢の不安定化を受けて平和への貢献を模索する一年であった」と言及され、比叡山宗教サミット38周年「世界平和祈りの集い」や大阪・関西万博での天台声明、不滅の法灯の奉安など天台宗の平和への取り組みについて述べられた。

 また「宗祖伝教大師は、仏性の開発と仏国土の建設と法華一乗の教法をもって道心ある人びとで満ちる世界を望まれた」とし、宗祖の願いが込められた道場を後世に継承すべく行われている延暦寺根本中堂大改修事業の無魔円成を願われた。

 午後からの祝宴には、政財界から自民党総務会長の有村治子参議院議員、三日月大造滋賀県知事、鳥井信吾サントリーHD代表取締役副会長らが出席。堀澤祖門探題大僧正、京都五箇室門跡門主らも臨席し、藤猊下を囲み懇親を深めた。

 挨拶した細野舜海天台宗宗務総長は、自国第一主義に傾く国際社会の中で対話による相互理解と融和を求める平和な世界を目指す決意を語った。

自然への感謝を忘れない
天知恩(てんちおん)
自然のめぐみに感謝する一年でありますよう

 「未曾有の自然災害が私たちの生活に混乱を招いているが、もとを正せば私たち人間の行いの結果である。今一度、天(大自然)からの恩恵を深く知り、その恩に感謝する心で一年を過ごしましょう」と紹介している。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

幸運は準備された心にのみ宿る

ルイ・パスツール

 ノーベル化学賞を昨年受賞した京都大学特別教授の北川進氏は、受賞会見で子どもたちへのメッセージを問われ、細菌学者のルイ・パスツールの言葉を引用し「いい先生、友達、学会での付き合いに恵まれた。それは準備された心なんです。ある日突然宝くじを引いて当たったわけじゃない。いろんな経験を大切にしていくとそれが将来花開く、そう言いたいですね」と述べました。

 北川教授が開発した多孔性配位高分子(PCP)とは、目に見えないほど小さな穴を持つ分子の器です。この発見は偶然の産物ではありませんでした。

 固定観念に縛られず実験を続け、金属と有機物からなる構造体はもろくて使い物にならないという科学界の常識を覆したのです。
 
 北川氏が述べた準備された心とは、柔軟な視点を持つことを示しているのでしょう。

 日々の生活を過ごしていると、様々な場面に出会います。例えば十分な準備をしないまま質問の場面に立たされたとき。日頃から関心を持って関連する本や新聞記事などを読んでいたおかげで、迷わず自分の意見を伝えることができます。

 これは偶然ではなく、日々の積み重ねがもたらした幸運といえます。

 北川氏は、日常の一つひとつの努力が未来の幸運に通じていることを子どもたちに伝えました。努力すれば必ず報われるという単純に励ますものではなく、むしろ今日の積み重ねが明日の出来事の見え方を変えるのです。

 日々の準備を怠らず、心を整えておきたいものです。
 

鬼手仏心

心の中の鬼

 2月3日は節分です。ここで連想されるものに「鬼」の存在があります。では、鬼とは何でしょうか?

 鬼の定義は様々ですが、仏教的な視点から見ると「煩悩」や「心の闇」を象徴する存在になろうかと思います。鬼は外から襲ってくる魔物ではなく、自分の内に潜む欲望・怒り・妄想といった心の働きが形を変えたもの。

 つまり仏教で「三毒」と呼ばれる、貪り・瞋り・痴さが、想像上の鬼の姿となったものなのです。

 たとえば、他者を羨む心が強くなると、内側で小さな鬼が囁いて満たされない思いを増幅させます。怒りが燃え上がると、鬼は牙をむいて理性を曇らせます。

 無知や思い込みに囚われると、鬼は影のようにまとわりついて正しい判断を妨げます。こうした鬼は、すべて自分の心がつくり出した幻影なのです。しかし、仏教は鬼を単なる悪として排除しようとはせず、むしろ心の状態を知るための手がかりと捉えます。

 怒りの鬼が暴れたなら、自分が何に執着しているのかを見つめる機会です。嫉妬の鬼が囁くなら、自分の価値を他者と比べてしまう癖に気づけます。鬼は心の歪みを映す鏡であり、向き合い方次第で成長の糧ともなりえます。

 仏教の修行は、鬼を抑えつけることではなく、その正体を見抜き、観察するためにあります。鬼は消し去るべき敵ではなく、理解して、やがては慈しみをもって抱きしめる対象にさえなるのです。

 心の中の鬼は誰の中にもいます。その鬼とどう向き合うかで人生の質は大きく変わります。鬼を恐れず、鬼を通して自分を知り、心を整えていくことこそ大切なのです。

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