天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第274号

菩薩行の実践を

天台座主 藤 光賢

 

 皆々さまにおかれましては、良いお年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。

 さて、昨年は年が改まって早々に大樹孝啓第二百五十八世天台座主猊下がご譲職の意を示され、図らずも第二百五十九世の法脈を継承し、天台座主の猊座を引き継ぐこととなりました。

 二月の上任以来、御拝堂式を経て六月十日の傳燈相承式を皆さまのおかげをもちまして魔事なく勤めさせていただきました。それに加え、御修法、比叡山宗教サミット三十八周年「世界平和祈りの集い」などの諸行事、日吉大社、平安神宮、八坂神社、北野天満宮、宇佐神宮で世界の平安を願い山上山下にて神仏に祈りを捧げましたことは感激の極みでございました。

 また十二月には、中国天台山国清講寺にて奉修されました天台大師入山一千四百五十年記念法要に使節団を派遣できましたことは、高祖大師に報恩心を示し、中国仏教界との絆を更に深めることとなりました。

 一方、社会では戦後八十年を迎え戦争の悲惨さを風化させない取り組みや国際情勢の不安定化を受けて平和への貢献を模索する一年であったかと存じます。

 比叡山におきましても、戦争の記憶を次世代に継承する法要として八月一日に「戦後八十年戦没者慰霊並びに世界平和祈願法要」を奉修。

 四日の比叡山宗教サミット三十八周年「世界平和祈りの集い」では、ノーベル平和賞を受賞された日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳代表委員をお招きし、講演をいただきました。

 ご自身が体験された被爆証言から、原爆被害の実相、戦争がいかに非人道的で悲惨さをもたらすものであるかを学び、次世代を担う若者に平和と人を愛する心を育む教育の必要性をご提言たまわりました。核兵器の脅威から人類を守るためには、廃絶しかないことを改めて考える貴重な機会になったかと存じます。

 世界では、今もなお戦争や紛争が後を絶ちません。利害や歴史的な対立、宗教の違い、差別や格差など、様々な要因を背景とした暴力が蔓延しているのが現状です。また気候変動による自然災害など人びとの不安が高まっています。

その緊張が高まる中において、大阪・関西万博の開催が国や地域、 宗教、文化の枠を超えて交流を深め、国民の気持ちをひとつにできたことは大変喜ばしい出来事でした。この平和の祭典に、伝教大師最澄一二〇〇年魅力交流委員会として七月二十四日の滋賀県デイに参加いたし、不滅の法灯を奉安し、平和と人びとの安寧を願う天台声明が奉納されました。

 世界の英知が集まった万博会場から、宗祖伝教大師の御誓願である「仏国土建設」の願い、そして一千二百年続く天台宗と比叡山延暦寺の平和への祈りが発信できましたことは、真に尊い浄行であったと存じます。

 比叡山に一乗止観院を建立し、天台宗を開宗された宗祖伝教大師の本義は、仏性の開発と仏国土の建設であります。

 そして法華一乗の教法をもって道心ある人びとで満ちる世界を望まれました。そのみ心を表す“不滅の法灯”が奉安されておりますのが総本堂根本中堂であります。

 歴代祖師方に倣い、今を生きる私たち宗徒も、檀信徒と共に報恩の志を次代に繋げなければなりません。宗祖の願いが込められた道場を後世に継承すべく修復事業が魔事なく円成するよう、ご法助たまわりたくお願い申し上げます。

 皆さまにおかれましては、宗祖伝教大師の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」のみ教えを常に心に保ち、真の平和が訪れますよう菩薩行を実践くださいますことをお願いいたします。
被災地の早期復興と本年が平和で実り多い年であることを念じつつ新年のご挨拶といたします。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

紛るる方なく、ただ独りあるのみこそよけれ

(何の用事もなくて、独りでいるのが、人間にとっては最高なのだ)

吉田兼好『徒然草』

 人に交はれば、言葉よその聞きに従ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、ものに争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。〈中略〉 走りて忙はしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。

 (人と話せば、人の言葉に従うことになって、自分の心が自分のものでは無くなってしまう。人と戯れ遊び、物を巡って争い、ある時は恨んで、ある時には喜ぶ。世俗では、心が定まるということがないのだ。〈中略〉走って忙しくしたり、ぼんやりとして大切なことを忘れてしまう、世俗の人はみんな、このようなものである)

 新たな年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。年始も働いている方はもちろん、初詣や親戚の集まりなど何かと忙しい方もいることでしょう。

 日々の生活においても、何もしない日を作るというのは難しいことのように思えます。おそらく大半の人が、「一日を無駄にしてしまう」という感覚に陥るのではないでしょうか。しかし、決して無駄ではないと兼好は言っています。そして、この段を「摩訶止観にも侍れ」と結んでいます。

 「摩可止観」は、中国で天台宗を開いた天台智者大師智顗が説かれたもので、天台宗の修行について記されています。摩可には「偉大な」という意味があり、止観という修行の重要性を示されています。

 「止」は心を外の世界から断ち、自分自身に集中させ心の平穏を保つことを指します。「観」は止で整った心で洞察し、自分自身や物事の本質に近づこうとする修行です。

 天台大師は、片方だけでは成立せず両方の修行があるからこそ悟りへの道が開けると仰っています。

 正月の間でも、日常で時間が空いたときでも、目をつむって息を整えて内なる自分に集中してみる時間を作ってみてはいかがでしょうか。

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