天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第273号

高校生がタイへスタディーツアー
-現地状況を学び支援の重要性を実感-

一隅を照らす運動総本部

 一隅を照らす運動総本部(荒樋勝善総本部長)のタイ・スタディーツアーが11月13日から18日にかけて開催され、天台宗関係学校の駒込高校と比叡山高校の生徒8名が参加した。

 プラティープ財団が運営する施設で生活する子どもたちとの交流やスラム視察などを通じて、総本部が取り組む支援を高校生に伝えた。

 孤児やスラムの子どもたちの救済を目的に活動するドゥアン・プラティープ財団(本部・バンコク)は、学資援助や麻薬中毒、近隣諸国の難民となった青少年の支援と更生自立を目指すプロジェクトなどを展開している。その活動に賛同した天台宗と一隅を照らす運動総本部が昭和63年に支援を開始した。

 スタディーツアーは、アジアの貧困地域の諸問題に直接触れる機会を設け、総本部の地球救援事業として取り組む活動への理解を深めてもらうことを目的に、平成28年から日本の青少年らを現地に派遣している。コロナ禍による中止を経て、昨年5年ぶりに交流事業を再開した。

 今年度は、駒込、比叡山の両高等学校の1年生と2年生の8名が参加した。14日に現地到着後、バンコクにある本部を訪問。創設者のプラティープ・ウンソンタム・秦氏より創設に至った経緯や当時の状況などの説明を受けた。その後、総本部が奨学金を支援する8名から学修状況などの報告があり、日本の高校生らと交流。両国の楽器や歌などの音楽の話題で話が弾んだ。続いてタイ最大のクロントイスラムを訪問し、子どもたちの生活環境などについて理解を深めた。

 過酷な環境を目の当たりにした高校生たちは、貧困が遠い国の話ではないことを感じながらスラムを後にした。  3日目は財団がタイ南部チュンポーンで運営する「生き直しの学校」へと移動。スラムに生まれ、ストリートチルドレンや家庭環境から親元を離れた7~19歳の青少年らが共同生活を送っており、高校生らも2日間、寝食を共にしながら交流を深めた。

 高校生らは薬草石鹸やクラトン(灯籠)作り、ソンクラーン(水かけ祭り)を体験し、タイ文化に触れたお礼としてたこ焼きを振る舞った。そして日本から訪れていることを知り学校に集まった近隣住民らに「もみじ」を合唱し、日本文化を紹介。現地の子どもたちからもダンスが披露され、楽団の演奏で一緒に踊ったり灯籠を川に流すロイ・クラトンを体験し最後の夜を惜しんだ。

 「皆さんと出会えたことが幸せ。離れるのはさみしいが、ここでの思い出は永遠に忘れない」など、高校生らはスラムでの苦労を感じさせず協力しながら生活している子どもたちの姿から現実を知った。

 一隅を照らす運動総本部では、人材の育成を目的に今後も活動し、現地への支援をより充実させていきたいと考えている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

無用の用

老子

 今年もさまざまな出来事がありましたが、とりわけノーベル生理学・医学賞に坂口志文氏、化学賞に北川進氏という二人の日本人研究者が選ばれたことは、日本人にとって大きな喜びであり誇りとなりました。

 受賞会見で北川氏は、研究の基本には「無用の用」があると語っています。「無用の用」とは約2千6百年前の思想家・老子は、器や車輪、部屋の例を挙げ、形そのものではなく「無」があるからこそ役割を果たすと説きました。

 それからさらに約3百年後、荘子は「人皆知有用之用、而莫知無用之用也」(人は有用なものの価値は知っているが、無用に見えるものの価値は知らない)と記しました。これは、形に現れないものの大切さを示しています。

 一見すると理系研究とは結びつきにくい老荘思想の言葉ですが、北川氏は若い頃から読書を好み、大学時代に湯川秀樹博士の著作を通じてこの言葉に出会ったといいます。

 のちに北川氏は、多孔性材料(たこうせいざいりょう)という、無数の小さな穴をもつ物質を開発しました。穴は一見「欠けている部分」ですが、その空間に分子を蓄え、性質を変えることで新たな可能性が生まれます。

 まさに「無用」が「有用」へと転じる瞬間であり、ものごとの本質は見た目だけでは測れないことを静かに教えてくれます。この材料は環境分野などで大きな変革をもたらすと期待されています。

 形あるものだけが価値を生むのではないという教えを、現代の研究が改めて示してくれた出来事でした。形あるものに心が向きがちな私たちですが、目に見えないところにも働きがあり、価値が宿るという古人の教えと現代の研究が響き合うような学びでした。

 今年をふり返る中で、その気づきは私たちの歩みをそっと照らしてくれるように感じます。

鬼手仏心

二〇五〇年へ向けた寺院の役目

 「人生一〇〇年時代」が到来し、高齢者人口が増加しています。日本の総人口は1億人を切り、65歳以上が全体の約4割を占めるなど、少子高齢化と地域社会の変容という深刻な課題に寺院は直面しています。

 檀家制度の崩壊、後継者不足など経済基盤の維持が困難となり、2050年には現在ある寺院数が半減すると予測されています。特に過疎地では地域コミュニティの中核を担うことが極めて難しくなりつつあります。

 そもそも寺院は葬儀や法要だけを行う場ではありません。文化、教育、福祉活動の拠点として、多様な社会的要請に応える「地域の公共財産」としての役目を果たしてきました。

 情報化社会の現代では、IT技術の進歩が職場環境に変化をもたらし、過重労働や人間関係の希薄化など、複合的な問題が絡みあいストレスを感じる人も多いと言われます。

 寺院も手を拱いている訳ではありません。これらの諸問題に応えようと、オンラインでの法要祈願や供養を取り入れるなど新たな試みが見られます。

 またSNSを活用した悩み相談や教化活動を情報発信する寺院が増えており、デジタル技術を活用した教えや活動に触れられる機会を提供する動きが加速しています。

「閉ざされた空間」から「開かれた地域共創の場」としての寺院が求められています。AIやバイオ技術が急速な変化をもたらす、このような時代にこそ「心のあり方」や「道徳心」といった仏教の教えや考え方が、悩める現代人の倫理的課題に示唆を与えることができるでしょう。

 宗祖伝教大師は、国の宝となる人材育成を目指されました。それぞれの持ち場で精一杯尽くすことで社会全体を明るく照らします。

 複雑な現代社会だからこそ、寺院は「一隅を照らす」存在となり、地域と共に歩んでいきたいと考えております。

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