天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第268号

「道心」をもって仏国土建設へ
- 藤光賢天台座主猊下が法燈をご継承 -

 今冬2月1日に第259世天台座主にご上任された藤光賢探題大僧正の「傳燈相承式」が6月10日、比叡山延暦寺根本中堂にて厳かに執り行われた。

藤座主猊下は、本尊薬師如来のご宝前において『傳燈相承譜』に署名され、宗祖伝教大師より連綿と伝わってきた法燈を継承された。

同日午後からは、「傳燈相承祝賀会」が京都市内のホテルで開催され宗教界はじめ、政財界など各界から約600名の来賓が出席し、藤座主猊下のご上任を祝した

 傳燈相承式は天台宗最高の慶事とされる。

藤座主猊下が乗られた殿上輿は午前10時過ぎに控え所である大書院を出立。翠雨が延暦寺境内の新緑を一層輝かせる中、天台宗要職や延暦寺一山住職らの出仕僧を伴われて根本中堂までを進まれた。

 入堂された藤座主猊下は、登壇・焼香後、荘厳な祝祷唄が堂内に響き渡るなか、『傳燈相承譜』にご署名された。(写真)

座主猊下の御心を旨に
 
 傳燈相承譜は、第一世天台座主義真和尚から第258 世大樹孝啓前座主までの歴代座主が就任の証として署名されている座主血脈譜である。

 根本中堂中陣には祭壇が設えられ、正面左に桓武天皇御真影、右に宗祖伝教大師御影を奉安。その宝前に、八舌の鑰、勅封の鍵、五鈷、鉄散杖、一字金輪秘仏などの伝教大師ゆかりの秘法具や大乗戒伝授に欠かせない仏舎利などが供えられ、新座主猊下に継承された。

 そして滞りなく古式に則 った儀式を修された藤座主猊下は、天台座主として宗徒に『諭示』を発せられた。

 この後、天台宗を代表し細野舜海宗務総長が「『道心』の志をもって仏国土の建設達成に邁進されますことを切に望みますとのお言葉を賜りました。私ども宗徒は、座主猊下の御心を旨とし、檀信徒の皆さまと共に仏国土建設に邁進すべく、心を新たにしております」と祝辞を述べた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

憎しみからは何も生まれない
愛だけが創造する

マキシミリアノ・コルベ神父

 マキシミリアノ・コルベ神父は、ポーランド人でありながらも「反ナチス的」との理由でユダヤ人強制収容所に連行され、飢餓刑を宣告された男性の身代わりになって死を選びました。「愛の殉教者」、聖人としてカトリックでは知らないものがいないといわれるほど有名です。

 神父は昭和5年から11年まで宣教師として長崎に滞在したことがあります。肺結核を患ったときに長崎医科大学の永井隆博士から診療を受けた記録が残されています。永井博士も、被爆し白血病を患いながらも被爆者の救護活動や長崎の復興に尽力し、多くの著書を残し平和を訴え続けました。

「己を如く人を愛せよ(如己愛人)」と隣人愛を実践し、今も多くの人びとから尊崇されています。偶然だとは思いますが、後に平和に献身する両者が引き寄せられたかのようにも思えます。

 さて、コルベ神父の言葉から、伝教大師の「怨みを以て怨みに報ぜば怨み止まず、徳を以て怨みに報ぜば怨み即ち尽く」(伝述一心戒文)との教えが、思い浮かびます。

 残念ながら、世界は今さまざまな危機と困難に直面しているといっても過言ではありません。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区の戦争は依然続いており、つい最近ではイスラエルとイランの報復合戦に緊張が走りました。いつの時代の戦争でも、根底に存在するのは憎しみでした。

 伝教大師は、自分が信じる正しい仏教を伝える意思と人びとを救うという強い信念を持たれていました。

 コルベ神父も「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」というイエス・キリストの言葉を実践し愛のために命を捧げた生涯でした。

 来日中、伝教大師の教えに触れたのではと、つい期待しますが想像の域を出ません。しかしお二人が、今の世情を憂い語りかけてくださっているように思えます。

鬼手仏心

新たな気づきを得た若者たち

かつて一隅を照らす運動総本部では、世界でも屈指の貧困国といわれたラオスに学校を建てる教育支援活動を進めていました。

 併せて、建設作業体験を通じて現地の方々と交流を深めてもらおうと「学校建設ボランティア団」と名付けて日本の大学生などの若者を募集しました。

 首都ビエンチャンは、都会とは言いがたく、郊外へ一歩出ると、建ち並ぶのは小さな高床式木造住宅ばかりです。そんなラオスへ初めて降り立った若者たちの目に映ったのは、貧しい中にも明るく生き生きと過ごす現地の人たちの姿でした。

 建設作業の村では、壁もなく、屋根もヤシの葉で葺いただけの仮校舎で一生懸命勉強したり、石ころだらけのグラウンドにもかかわらず素足でサッカーに興じる子どもたち。興味津々でやってきては、砂やセメント運びのバケツリレーに加わったり、水汲みのリヤカーを押してくれました。

 村の女性たちも、我々の慣れない自炊の様子をのぞきにきては、いつの間にか野菜の皮むきなどの手ほどきがはじまりました。

 そんな数日間の活動と交流を終える頃にはすっかり意気投合し、お別れ会は涙の絶えないものでした。「ボランティアに来たはずが、逆に受けたのではないか…」。

 帰り道、参加者の1人がそうつぶやきました。ボランティア活動の本質を改めて学んだ若者たち。自身の価値感や考え方を見つめ直すきっかけになりました。

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