天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第259号

第38回 世界宗教者平和の祈りの集い フランス・パリ
「平和を想像する」をテーマに諸宗教代表者らが対話
「世界宗教者平和の祈りの集い」は、1986年に当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の呼びかけによりイタリア・アッシジで始められたもので、以来、ヨーロッパで都市を変えながら年一度開かれている。

小堀名誉団長と大澤団長のほか、天台宗からは岩田真亮天台宗参務・教学部長と青木円学延暦寺副執行・管理部長が副団長として参加した。

エジディオ共同体創設者のアンドレア・リッカルディ教授が集いの歴史を振り返った上で、今大会の開催意義を強調。また、フランスのマクロン大統領やパリのアンヌ・イダルゴ市長らがスピーチし、世界で起こる諸問題解決に向けた宗教者の議論に期待を寄せた。

 23、24日は、パリ中心部の各会場で21の分科会が行われ、その一つで小堀名誉団長は「偉大なるアジア 宗教の課題」と題して講演した。

小堀名誉団長は「あらゆる宗教が混在するアジアには、多様性こそが価値と魅力であり大変重要な点である」と述べ、経済発展が著しい反面、いまだアジア全体で6億人以上が貧困問題に直面していると指摘。

 そして伝教大師の『忘己利他』を紹介し「たとえ戦争がなくても、貧困や差別、人権侵害がはびこる社会は平和とは言えない」と訴え、「ひとつの価値観や正義だけで縛るのではなく、他を認め尊重し合う、これこそがそれぞれの命を尊ぶことであり、この集いの趣旨とも響き合うものであると確信している。個々の宗教、個々の文化を尊重し合い、助け合う。アジアはこれからそのことに向かわなくてはならない」と方向性を示した。

 最終日の夕刻には、各宗教・宗派による平和の祈り法要が市内各所で営まれ、日本仏教世界平和祈願法要を小堀名誉団長の導師のもと奉修。続く閉会式では「平和宣言文」が採択され全日程を終えた。

 

 令和6年能登半島地震、またこの度の令和6年9月能登半島豪雨により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。皆様の心の平安と、一日も早く日常が戻ることを願い、天台宗は支援を継続してまいります。

天    台    宗
一隅を照らす運動総本部

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

胡蝶(こちょう)の夢               
(夢の中で蝶になった自分が目覚めた後、現実か夢かを疑ったことから「夢か現実かはっきりわからないさま」を表す)

荘子

 最近SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=インターネット上で人とつながって交流したり、情報を発信できるサービス)がさらに身近になったと感じます。NHKでさえ、SNSの投稿をニュースに引用することが増えました。

 Xやインスタグラムなど代表的なSNSを長い時間見ていると、まるで、そこで情報を発信している人たちの世界に囚(とら)われてしまうかのような感覚にさえ襲(おそ)われます。

 SNSは今や一番便利な情報伝達ツールです。情報の迅速(じんそく)さと到達できる範囲においては、テレビや新聞は全くといっていいほど敵いません。たいていのSNSでは翻訳機能がついているので、それを使えば、世界中の人が瞬時に簡単に情報を得ることも可能です。

 しかし、正確さに欠けることが最大の難点です。テレビや新聞には検閲機関があり、その情報が正しいかどうかを検討してから人々に伝えます。もし間違えた情報が流されたとしたら、わかった時点で訂正され、責任を厳しく問われることもあります。

 一方、SNSは誰もがスマートフォンなどを使って簡単に無責任に発信することができます。真偽の判断は受け取り側に委(ゆだ)ねられます。
フェイクニュースは多数の人に向けた悪意のあるデマです。最近では、能登半島地震の際に多くのフェイクニュースがSNSを通して拡散されました。困難な状況下の許しがたい行為です。

 ここ数年は、画像や音声を加工・合成し、現実には行われていないことをあたかも起こったかのように伝えられることさえ頻発(ひんぱつ)しています。その写真や動画の細工は大変巧妙で、簡単には真偽の判断がつきにくいものです。

 この目で見えている世界は嘘なのか。それともSNSの世界が現実なのか夢なのか。自分のいる世界があいまいになっていくような気持ちです。
SNSは現代の「胡蝶の夢」のようなものなのかもしれません。

鬼手仏心

遊びの時間

 近頃の子どもたちは遊びの時間が減っていると聞きます。それも、年々減少傾向にあるとのことです。塾や習い事で遊びの時間が取れないことも理由の一つですが、ほかにも原因があるようです。

 例えば、公園で遊ぼうとするといろいろな禁止事項に阻まれます。野球、サッカーなどボールを扱う遊びは禁止、大声で騒ぐことなども禁止とされ、公園で遊ぶことが難しくなっています。子どもの元来の遊びである冒険ごっこや、探検ごっこなどもなかなかできない公園もあるようです。そういえば公園以外でも、子どもたちが群れて遊んでいる光景にあまり出会いません。

 今、七十代や八十代のお年寄りの子ども時代とは、はるかに違ってきています。「私らの子ども時代は、学校から帰ると、カバンを放り投げて外に遊びに出かけたものです」と懐かしげに言うのを聞くことがあります。この頃は、子どもたちの放課後の過ごし方が明らかに違って、塾や習い事のない子は家でゲームなどをして外で群れ集って遊ぶことはないようです。

 「時代が違う」といってしまえば、それまでですが、果たして「成長面」では良いことなのか、疑問に思えます。子どもたちは遊びの中で、いろいろな工夫を試みたり、仲間同士の協力や葛藤などを通じて人間関係の在り方を学んだりします。「成長」という意味から考えると、子どもたちの未来が心配になります。

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