天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第260号

宗務総長が被災地を初視察
能登半島地震および豪雨災害物故者慰霊法要

 阿部昌宏天台宗宗務総長(天台宗災害対策本部本部長)は9月27日、能登半島地震の被災地を初視察した。珠洲市の翠雲寺(岩尾照尚住職)では物故者慰霊法要が営まれ、大樹孝啓天台座主猊下が檀信徒らに“お言葉”を寄せられた。

 能登地方は9月21日、記録的な豪雨に見舞われ、能登半島地震で被災した翠雲寺と藥師寺(井上惠照住職)の周辺でも、洪水や土砂崩れなどの被害が出ている。
 
 天台宗災害対策本部は4月に甘井亮淳法人部長らを派遣し、珠洲市に義援金1000万円を寄付している。また災害ボランティアとして、天台宗防災士協議会や仏教青年連盟、大正大学の学生らが活動を行ってきた。

-檀信徒と共に祈り-
 
 翠雲寺では、予定していた能登半島地震物故者慰霊法要と同時に、能登半島豪雨物故者慰霊法要を併修した。 

 阿部宗務総長を導師に、即眞永周延暦寺副執行はじめ岩尾翠雲寺住職、井上藥師寺住職、天台宗防災士協議会の井藤圭順会長、西郊良貴副会長、林俊康副会長らが出仕。約40名の檀信徒も参列し、物故者の慰霊と被災地の早期復興を祈った。

 元日の地震発生時より被災地訪問のご意向を示されていた大樹座主猊下は、今回の法要に際し“お言葉”を寄せられ、阿部宗務総長が檀信徒らに向けて代読した。

 大樹座主猊下は「復興に向かう皆様が、さらなる苦難に見舞われた現況に心を痛め、自然の恐ろしさを再認識しています。私たちは大勢に支えられながら生きています。どうぞ心を強く持っていただきたい。互いに助けあい共に祈ることで、心の中にある一筋の灯火を見出すことができるでしょう。心に安寧なる時がいち早く訪れるよう、私たちも皆様の心に寄り添い、共に歩んでまいります」と被災地に心を寄せられた。

 阿部宗務総長は「災害で能登を離れる人も多いが、地域の拠り所として、翠雲寺を護るよう努めていく」と今後の復興支援を約束した。

 岩尾住職は「被災当初から、座主猊下の駆けつけてくださるような勢いを感じながらも、復旧が進まない状況に心細さを感じていた。今日、阿部宗務総長が能登に赴いてくださり大変励まされた」と涙ぐみながら謝辞を述べた。  

 法要後、檀信徒と昼食をとりながら交流の場が設けられ、天台宗防災士協議会の井藤会長が阪神淡路大震災で被災した自らの経験を語り「どんなに大変でも、必ず光は見えてくる。一緒に乗り越えましょう」と呼びかけた。  

 翠雲寺檀信徒を代表して挨拶した新谷成昭さんは「寺家地区は高齢者が多く、まだ復旧の入り口に立った状態。支援を糧に、険しい道のりを一歩一歩進みたい」と力強く語った。  参列した檀信徒らには、大樹座主猊下が復興への願いを込めて揮毫された「一隅を照らす」「忘己利他」「和顔愛語」の色紙が贈られた。

 -豪雨で「二重被災」 被害を目の当たりに-

 法要後、阿部宗務総長は藥師寺のある同市高谷地区を視察した。4月時点では車1台が通れるまで復旧していた同寺までの道路は、今回の豪雨による土砂崩れで通行できなくなっていた。

 岩尾住職と井上住職の案内で、土砂や倒木が散乱した山道を歩くも境内にはたどり着けず、塞がれた道を前に手を合わせ読経した。

 現在能登地方は地震の被害に豪雨が重なり、厳しい状況に置かれている。仮設住宅で生活している翠雲寺檀信徒の一人は「災害続きで、何から手を付けたらよいかわからず疲弊している。今日お寺に集まり、久しぶりに元気をもらえた」と安堵の表情で語った。

 天台宗災害対策本部は、今回の豪雨で二重被災した寺院や檀信徒、地域住民に対して支援活動を継続していく。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」

夏目漱石

 夏目漱石の『我が輩は猫である』に出てくる言葉です。  
 
 人間の日々の生活は多かれ少なかれ、喜怒哀楽に包まれています。人は、予期せぬ幸運が訪れて嬉しい気持ちになったり、どうにも事が思うように運ばず悩むとか、哀しい出来事に遭遇したり、反対に心浮き立つことに出会うことなどを毎日繰り返して生きています。これがいわゆる「平穏な一日」といわれる日常の姿ではないでしょうか。

 皮肉なことですが、人間にとっては、喜びや楽しいことよりも、怒りや哀しみの気持ちのほうがずっと記憶に残るようです。屈辱的なことや悲哀に満ちた体験などは、心の片隅にいつも存在し、ときおり、大きく浮かび上がって悩ませます。

 その都度、後悔やら開き直った心地になったりしますが、そういった苦い体験自体は消え去りませんから、面倒なことですね。
 毎日の生活のなかで、さまざまな人たちと出会います。はじめからなんとなくウマの合う人もいれば、「この人とは気が合わないようだな」と、感じる人もいます。また、一度だけの出会いに終わってしまう人もあれば、その出会いから何十年と続く友人となる人もあります。  

人間関係においてだんだんと親しく打ち解けた間柄になると、かつて経験した苦い思い出なんかも打ち明けてくれたりします。その人が明朗活発かつ呑気で、翳りもない印象を持つ人だったりすると、「へえ、そんなこともあったのか」とその意外な面にビックリすることがあります。改めてその人の人柄というものを考えてしまいます。そして「誰しも心に傷を持つものだなあ」と思ったりします。
 
この掲げた言葉から、人間というものは誰しも必ず心の奥に「暗いもの」を持つ存在であるということを改めて感じたことでした。ただ、だからといって「翳り」というものが、その人への印象を損なうことはないと思います。

鬼手仏心

「パラスポーツの盛りあがりに思う」

 この夏の思い出の一つは、「猛暑」の時節に開催されたパリでのオリンピック・パラリンピックだった。耳目が集まり、大きな盛り上がりをみせたこと。殊に、障がい者のオリンピックと称されるパラリンピックはメディアの積極的対応が目立った。競技者による懸命の取り組みに呼応した観客の大きな拍手や選手と一体化した笑顔の交歓はスポーツ祭典に相応しく、その様子に爽やかさと好もしさを感じたことであった。

 障がい者スポーツは、もともと負傷兵の医療を補完するリハビリテーションに由来・淵源して発展をみたそうである。種別によって視覚・聴覚・身体・知的・精神といった5つのグループに分けられる。各々の障がいに応じた個別の歴史があり、態様も一様ではない。

 現況の障がい者スポーツは一部を除き、その種類や種目数において多種多様さを有している。それらの競技には、ルール等の条件設定や心身状況に見合った装具などの整備を要することであり、競技場には姿を見せなくとも、実に多様で多彩な人々のサポート体制の存在が不可欠のはずである。障がい者スポーツに関わる方々のご努力と献身に惜しみなくエールを送りたい。

 その一方、気にかかることもある。一向に出口の見えない世界各地の武力紛争は日々多くの犠牲者と心身両面の負傷者を生み出している。障がい者スポーツにとっても意図せざる関係者増加の要因となることの無いよう紛争自体の『終息』を切に願うことである。

ページの先頭へ戻る