天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第256号

各地で一隅を照らす運動推進大会
-運動理念を再確認-
-伝教大師の遺徳を偲び-
 埼玉教区(杜多堯慶宗務所長)は伝教大師のご命日にあわせた6月4日に埼玉県大里郡の高藏寺(吉田亮秀住職)で開催した。

 開会の辞で杜多宗務所長は「伝教大師は、国宝となる人材育成が最も大切と考えられた。皆さんも日頃の運動を周囲や後世に伝えてほしい」と挨拶。その後、吉田住職を導師に法要が営まれた。

 講演では、竹内純照一隅を照らす運動総本部長が「情けは人の為ならず」という言葉を紹介し、日常生活での気軽な「忘己利他」の実践を呼びかけた。

 また瀧川善海吉祥寺住職が「生まれて 生きて 死んで それから…」を講演。人が生まれた時の通過儀礼(祝い)と、亡くなった後の供養の共通点を述べ、先祖から子孫へとつながる生命の尊さを伝えた。


-慈覚大師ゆかりの地で-
 兵庫教区(井上真円宗務所長)は6月5日、新温泉町文化体育館・夢ホールで檀信徒会総会と併せて開催した。
 
 平安時代に慈覚大師円仁が開湯したとされる湯村温泉で、檀信徒ら約300人が参会。講演では高野山真言宗高照寺名誉住職の密祐快師が「『南米に暮らすブラジル日系人のしあわせとは…』~私が南米ブラジルで学んだ事~」と題し、自身の経験やブラジル日系人の暮らしぶりを紹介した。

 法楽では井上宗務所長が導師をつとめ、「伝教大師のご精神を弘めるため、檀信徒同士で協力して研鑽を積んでほしい」と挨拶。また宮本安隆教区檀信徒会副会長が「人と人とをつなぐ運動」の実践を会場に呼びかけ、来賓の柴田真成社会部長は「一生懸命に咲く紫陽花のように、周りを輝かせ、日本や世界中を照らしてほしい」と述べた。

 また社会貢献活動や法灯護持に尽力する6名に表彰状が授与された。


-仏教の魅力を再発見-
 神奈川教区(加藤浩照宗務所長)は6月9日、川崎市のKSPホールで開催し法話や講演、坐禅体験を通じて参加者らは学びを深めた。

 開会にあたり叡山講福聚教会神奈川地方本部寶泉寺(ほう せん じ)支部による和讃が披露され、加藤宗務所長を導師に能登半島地震物故者慰霊法要が奉修された。

 加藤宗務所長は「仏教やお寺の魅力を再発見してもらい、この会が一隅を照らすきっかけになれば」と挨拶し、来賓の竹内一隅を照らす運動総本部長が「各々ができる奉仕から実践してほしい」と述べた。

 また一隅を照らす運動教区本部より、同運動総本部と神奈川県社会福祉協議会に募金が寄託された。
 
 続く法話では、教区布教師会の須藤大惠会長と奥村良玄事務局長が身近な例を挙げながら「一隅を照らす」心構えを語った。

 神奈川天台仏教青年会による「イスで行う坐禅」体験、「お寺・仏像研究家」の芸人「みほとけ」さんの講演が行われた。


-忘己利他の実践を-
 東海教区(山田亮盛宗務所長)は6月22日に覚王山日泰寺で檀信徒会総会と併せて開催。釈迦の御真骨を奉安する日本唯一の聖地に日泰寺代表役員で宗議会議員の村上圓竜常覺院住職、柴田社会部長を迎え、約200人の参加者らが実践理念を確認しあった。(写真)

 山田宗務所長は法楽後、伝教大師の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」を紹介し「自分のことより他人の幸せを願う行動を実践することを大切に」と述べ、深谷英治教区檀信徒会会長に続いて柴田社会部長が祝辞を述べた。

 檀信徒総会後は、東海天台仏教青年会が施餓鬼法要を声明と共に披露する「ウランバナの調べ~天台声明を通じて探る日本の文化~」を公演。善光寺別院願王寺の櫻井圓晋師による法話、叡山講福聚教会東海地方本部による御詠歌の奉詠、最後は唱歌「ふるさと」を全員で唱和し会場は一体となった。

 なお記念品には、能登半島地震の早期復興と被災地支援の一助にとの願いが込められた、七尾市の「和ろうそく」が用意された。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 私たちは、あの行為をやったのは〝自分たちと同じ人間〟だと思い出さなければならないのです。人間ではない者の仕業だと思うほうが楽です。でも、あの行為をやったのは人間だったのです。

ジョナサン・グレイザー (『関心領域』映画監督)

 世界最高峰の映画の祭典であるアカデミー賞は今年、戦争をテーマにした作品が多く受賞しました。その中に『関心領域』という映画があります。
 
 第二次世界大戦下のポーランドが舞台の映画です。美しい庭と心地よい部屋をもつ家には、豊かな生活を満喫(まんきつ)する家族がいて、幸せな日常が静かに描かれ続けます。

 しかし、この家族の父親はアウシュビッツ収容所の所長で、幸せな家は収容所と塀(へい)を隔てた隣なのです。母親が育てた花を赤子と愛でている時、子どもたちが庭で戯(たわむ)れている時、家族のくつろいだ晩餐(ばんさん)の時、塀の向こうの怒号や悲鳴がスクリーンから絶えず聞こえてきます。

 また、花が咲き乱れる美しい庭の向こうには(大量のユダヤ人を虐殺(ぎゃくさつ)するための)焼却炉(しょうきゃくろ)からの煙が昼夜を問わず出続けているのが見えます。家族が自分たちの幸せを追求し享受(きょうじゅ)する姿はどこにでもありそうな日常なのですが、隣にある収容所には決して関心を向けることはありません…。

 とても不気味です。しかし、観ているうちに奇妙な恐ろしさに襲われました。

 この映画は決して他人事ではないのです。

 現在も戦争や紛争は世界各地で起きています。テレビのニュースから連日、ウクライナとガザでの惨劇(さんげき)を知ることでしょう。そのようなニュースが流れる中で、私たちは食事をしていないか。新聞の見出しに関心を払わないまま、誰かと談笑することはないか。また、戦争に限ったことではありません。日常の中で、災害、事件を知っていく私たちは、どこかで自分事として捉えきれていないのではないでしょうか。

 ユダヤ人の虐殺も〝自分たちと同じ人間〟がやったのだ、と監督は言います。そうだとしたら、悲劇や惨劇への無関心や他人事に感じる浅はかさによって、なにかのきっかけで、私たちも恐ろしい行為に加担をしてしまうこともあり得るということなのです。また、逆も然(しか)りで、受ける側になることもあり得るのです。

鬼手仏心

紫陽花(あじさい) ―花の生き方を学ぶ―

 7月、今年もお相撲さんがやってきます。自坊(北名古屋市髙田寺)が、大相撲名古屋場所で押尾川(おしおがわ)部屋(親方・元関脇豪風(たけかぜ))の宿舎となっていて、6月26日過ぎには朝稽古が始まります。ちゃんこ会もあり、後援者や地域の皆さまで賑わいます。
この地方でも、6月から7月中旬にかけて梅雨を迎えます。

 梅雨にぴったりの花があります。紫陽花です。あじさいは、英語では「水の器」という語源を持つそうです。長い間枯れたような茎のまま冬の寒い土の中で、ひそかに力を蓄え、一番花の少ないこの梅雨の季節に静かに美しく咲きそろっている風景は、誠に日本的で素晴らしい味わいです。七変化ともいわれるこの花は、緑・紫・紅(くれない)などと色を変えていきます。

 一体誰のために何のために咲いているのでしょう。
 
「人、見るもよし、見ざるもよし、我は咲くなり」とは武者小路実篤の言葉ですが、花をじっと見ていると、誰のためとか、何のためとかという思いは微塵もなく、ただ無心に雨にうたれて毅然と咲いている姿に神々しささえ感じます。

 誰にへつらうわけでもなく、誰に自慢するでもなく、そのひと時を短い生命(いのち)をかけて一生懸命に咲いている姿は、なぜこうも美しく感動させられるのでしょうか。

 振り返ってみると、私達人間の世界は、この花の世界と異なって、いろいろな計らいの中で、何とあわただしく生きていることでしょう。

 私たちも、花のように一途にひたすらに生きていけたらと思います。力士達が、一途に相撲道に精進する姿は、まさに「花の生き方」を表しているような気がします。

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