天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第255号

世代や立場を超えた連携を
-国際的視野で日本文化を発信-

伝教大師最澄1200年魅力交流委員会第6回総会

 伝教大師最澄1200年魅力交流委員会(鳥井信吾委員長・サントリーホールディングス株式会社代表取締役副会長)の第6回総会が5月8日、延暦寺会館で開かれた。

 同委員会は、滋賀・京都の自治体や財界、大学などの委員で構成され、「伝教大師1200年大遠忌」を契機に令和元年に発足。伝教大師の教えを発信し、日本文化や歴史、寺社仏閣への関心を喚起することを目的に、世代や立場を超えた交流を推進している。

 当初は大遠忌を迎える令和3年6月までを活動期間としていたが、コロナ禍で難航した活動の再起をはかるため、現在は第2期として令和9年度の根本中堂大改修完了を目途に活動を継続している。


宗内に留まらない
交流の拡充へ

 総会では幹事の阿部昌宏天台宗宗務総長が、昨年11月に開催された役員会の要旨を報告し「第1期は事務局中心に活動し、全国寺院や僧侶の主体的な取り組みまでには至らなかった。今後は宗内でも積極的な参加を仰ぐ」と強調した。

 天台宗は天台仏教青年連盟や各教区と協働して各地方の学生や経済界を巻き込み、活動の全国展開を予定。令和2年度にコロナ禍で休止した「不滅の法灯全国行脚」の再開なども視野に入れ、檀信徒にとどまらず学生や若い世代と宗の枠組みを超えた交流をはかる。

 また延暦寺では、平成30年に台風被害を受けて以来閉鎖している居士林研修道場の再興とともに、一般に向けた修行体験の提供を検討している。体験型参拝「比叡探訪」を広く推進していく予定。

学生から歴史や
文化を発信
 
 同委員会の特徴である「大学コラボプロジェクト」についても議論された。この企画は、各地の寺院を訪問した学生らがその魅力を発信する「お寺巡りプロジェクト」や、日本文化体験などを中心に、これまで延べ2000名以上の学生が参画している。総会には学生3名が出席し、「歴史を繋いできた人がいるからこそ今があると実感した」などと感想を語った。

 今年度は全国の大学との連携や、参加学生へ社会貢献活動として参加証明を発行することなども検討中。また学生の発信の場であるウェブサイト『巡り』について、閲覧数向上を目的とした告知の活性化や多言語化、御守などの販売ページの追加が議論され、より包括的なサイトとして整備を進めていく。第2回文化体験では、同委員会委員の武者小路千家家元後嗣・千宗屋氏を講師に茶道体験の開催を予定している。

大遠忌に代わる
新たな期待感を

 根本中堂の落慶や観光業の活発化に向けて、行政や参画企業、大学と協働して活動に取り組んでいく。鳥井委員長は「本活動が滋賀・京都の観光振興と地域創生につながる。大遠忌を終えて第2章に入った今、新たな気持ちで、最澄の魅力や教えを国内外に発信していく」と述べた。

 コロナ禍が明けて、インバウンドや国際イベントに注目が集まる昨今、伝教大師の教えや歴史、伝統文化を世界に向けて強力に発信していくとの指針が全員一致で再確認された。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

言葉の世界から追い出されることは悲惨だが、その中に閉じ込められるのはもっと悲惨だ。

ヴァージニア・ウルフ

 「言葉」という単語を国語辞典で引くと、複数の意味がある中で「人が声に出して言ったり文字に書いて表したりする、意味のある表現」と最初に記載されています。言論・報道の自由の名のもとに誰もが言葉を表明できる環境を整えたとしても、発言者が意味のある表現をしなければ言葉の定義とはかけ離れたものになっていきます。

 昨今、報道番組や新聞を見れば「誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)」という言葉が頻繁に出てきます。現代は誰でも手軽に言葉を発信できるようになり、それ自体はとても素晴らしいことであるはずなのに、ひとたび発言すれば発言者の人格を否定するような暴言や的外れな反論の応酬が目立つように感じます。

 「ペンは剣よりも強し」と言いますが、時には相手の人生を脅かしかねないというのに軽率に攻撃的な発言で相手を傷つける人達は、言葉の世界に閉じ込められているのでしょう。また批判を真に受け反撃する人も、「言葉の世界に閉じ込められる」状態にあるのではないでしょうか。

 伝教大師最澄さまは『守護国界章』において「もし意を得て相許さば、彼此(ひし)に利あらん。もし心を執(しゅう)して相争わば、彼此の道(どう)を失(しっ)せん」という言葉を遺しています。相手の意見を汲み取り、お互いに許し合えば相手も自分も良い結果を生み出します。

 ですが、自分の考えに固執し争えばどちらも道理から外れてしまうという意味です。世界には81億人以上の人が生活していますが、性格、考え方、価値観など全てが同じ人などいません。意味ある表現というのも人にとって捉え方は様々ですから、言葉同士がぶつかる時もあるでしょう。そうなった場合はどちらも自分の意見に執着せず相手を慮(おもんぱか)ることで良い結果へと繋がっていくのです。

 誰もが言葉の世界から追い出されず、閉じ込められることのない、互いに許しあえる表現者が増えるよう願って止みません。

鬼手仏心

花と仏さま

 全国には季節ごとに素晴らしい花を咲かせる寺々があります。今では観光や行楽地のようにみられがちですが、本来、花には仏教と密接なつながりがあります。

 仏さまにお供えするお香と同じく「香り」をお供えしており、お釈迦さまと深い関わりがあるのです。

 お釈迦さまのお生まれになった日を「花まつり」と呼び、また曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、沙羅双樹などゆかりの花々もあることでも分かります。

 その中でも尊いのが蓮です。泥池に根を張り、その中から美しい清らかな花を咲かせます。妬み嫉みの渦巻く人間世界を泥池とすると、その苦しみの世界から人々を導く仏さまの教えが清らかに咲いた蓮とも思えます。このように「花」と「仏さまの教え」とは切っても切れない関係があるのです。

 物質一辺倒の現代社会にあって、人はいろいろなことで悩み、ストレスを抱えて生きています。そんな人々に「すこしでも安穏なこころを取り戻していただきたい、花を通して仏さまと出会っていただきたい」と平成13年に宗派の垣根を越えて、関東で「東国花の寺百ヶ寺」が結成されました。

 自坊(市原観音如意輪寺・茨城県笠間市)も名を連ねております。これらの寺々では1年を通じて花を見ることができます。機会があれば「東国花の寺百ヶ寺」を訪ねてみてください。

 境内でゆっくりと花々を愛で、こころゆくまで楽しい時をすごしてみませんか。「花の寺」は、いつでもお待ちしております。

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