一隅を照らす運動推進大会で琵琶奉納
ー開祖の墓前で遺徳偲ぶー 玄清法流
伝承法流の一つ玄清法流(梶谷隆幸統管)は11月11日、開祖玄清法印の墓がある福岡県糟屋郡宇美町の四王寺山(しおうじやま)山頂で開祖玄清法印一千二百年御遠忌法要並びに一隅を照らす運動推進大会を開いた。僧侶や信徒ら約70名が参列し、法要や琵琶奉納などを通じて開祖へ報恩謝徳を示した。(5面に関連記事)

その開祖玄清法印は、現在の福岡県太宰府市近郊に生まれ、7歳で得度し仏門へ入るも17歳の時に眼病を患い失明する。
そして20歳の時、盲僧の祖インドの阿那律(あなりつ)尊者の残した地神陀羅尼経を後世に伝えるべく四王子山に籠もり、21日間断食して琵琶を弾奏しながら経を唱えて祈願した。
すると満願の朝に四天王が現れ、比叡山に登り聖者を助けよとのお告げを授かり登叡。伝教大師と出会った。
根本中堂の前身である一乗止観院を建立中だったが、大蛇に阻まれ工事が困難を極めていたことを聞いた玄清法印は、琵琶を弾奏して地神祈祷を行ったところ大蛇の難は消除したと伝えられている。
その後、故郷にもどり四王寺山麓に堂宇を建立。琵琶を弾奏して仏法を弘めるなど、様々な功績を残した。
ゆかりの四王寺山山頂には、天保年間に建立された墓とされる石碑が建てられているが、登山者などの一般の人々には浸透していなかったという。
玄清法流では、玄清法印が亡くなって1200年の節目を迎えたことから、200年ぶりの改修に着手。墓の前に御遠忌法要が営まれた日付と寄進した僧侶の名前を刻んだ頌徳碑を新たに設えた。
四王寺山山頂での法要並びに一隅を照らす運動推進大会は、玄清法印之墓と記された墓石前で奉修された。
頌徳碑の除幕式を行ったあと、玄清法流の僧侶らが出仕して梶谷統管を導師に一千二百年御遠忌法要が営まれた。
般若心経では、荒神琵琶を起源とする筑前琵琶福岡旭会の米村旭翔会長ら2名も加わり、5本の琵琶で合奏。城戸清賢妙音寺住職が佛説大荒神施與福徳円満陀羅尼経を弾奏し開祖の遺徳を讃えた。
続いて一隅を照らす運動推進大会で、天台宗の甘井亮淳参務・法人部長が「玄清法印は天台宗の開宗に尽力されたお一人」と挨拶。また水尾寂芳延暦寺執行は「今年の比叡山からの言葉は『開発真心(かいほつしんしん)』だった。
嘘偽りのない真心を開き発(お)こすと必ず相手に通じる。それは仏性。一人ひとりの仏性を開発しましょう。これが一隅を照らす運動の柱でもあると思っている。
この法要が、自分の心の中にある仏の心に光や水を当て、しっかり成長させるきっかけになることを願っている」と参列者に呼び掛けた。
梶谷統管は「100年ぶりに墓前で法要ができたことは感無量。新たに建立した碑を見て、玄清法印の功績を多くの人々に知ってもらいたい」と話している。