天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第241号

11年に亘る大法会が結願
-祖師方へ報恩感謝し、浄仏国土への祈り捧げる-

 宗祖伝教大師一千二百年大遠忌など、11年に亘り奉修してきた祖師先徳鑽仰大法会を締めくくる総結願法要が3月16日、比叡山延暦寺で執行された。

 期間中は「道心~山川草木みなほとけ~」をテーマに、全国各教区での特別授戒会、総本山等での諸行事を通じ、多くの人びとが祖師方の教えと結縁する機会が持たれた。

 根本中堂では大樹孝啓天台座主猊下を大導師に四箇法要、午後からは三塔全山で同時刻に総結願奉告法要を営んだ。

 祖師先徳への報恩感謝と期間の円成をご宝前に奉告し、み教えを未来へ継承することを誓った。
(4、5面に関連記事)

 天台宗では、平成25年に天台教学の礎を築いた慈覚大師一千百五十年御遠忌、同28年に浄土信仰の祖・恵心僧都一千年御遠忌と宗祖伝教大師ご生誕一千二百五十年慶讃、同29年に千日回峯の祖・相応和尚一千百年御遠忌、そして令和3年の宗祖伝教大師一千二百年大遠忌を迎えるにあたり、平成24年4月から祖師先徳鑽仰大法会をスタートさせた。

 しかし、平成23年に東日本大震災発生を受け、総力を挙げて救援・復興支援を進めると同時に慈覚大師御遠忌を第一期、その後を第二期と設定し報恩事業を進めた。
 
 第二期においても令和2年より新型コロナウィルス感染症が世界中に蔓延したことを受け、当初の終了予定より期間を1年延長して対応していた。

 第一期、第二期を通して発心会、結縁灌頂並びに総本山への団体参拝、写経会の推進、また第二期からは全国各教区での特別授戒会を営み、これまでに5千人以上が仏縁を得た。

 さらに東京、九州、京都の国立博物館で特別展『最澄と天台宗のすべて』を開催し注目を集めた。伝教大師の大遠忌には、産学官協働による伝教大師最澄1200年魅力交流委員会を設立。次代を担う若者らが日本文化に触れる活動をサポートし、今後も継続が決まっている。

 これらの各記念事業を通じ、コロナ禍で制限されながらも宗内外の多くの人びとに祖師方の教えに触れる機会を設けてきた。

 そして国宝根本中堂大改修工事が令和9年12月の完成を目指して進んでおり、天台学大辞典の刊行も控えている。

-法悦に満ち溢れ-

 根本中堂での総結願法要は、大樹座主猊下の大導師のもと、延暦寺一山および全国の宗務所長ら38名が出仕。
内陣で四箇法要を奉修した。

 また堂内には、探題や已講などの出世役、門跡・大寺、宗機顧問、宗議会議員ら宗内諸大徳が随喜。さらに大法会期間中に携わった歴代の天台宗並びに延暦寺の役員、伝教大師最澄1200年魅力交流委員会など宗内外の関係者約200名が臨席し、期間の無事円成と祖師方へ報恩感謝を捧げた。

 また午後からは大講堂(東塔)、釈迦堂(西塔)、横川中堂(横川)の三堂で、同時刻に法要を開式。それぞれの堂内で法華経を読誦し、宗祖伝教大師並びに祖師方が願われた〝浄仏国土建設〟を祈願。全山に世界平和を願った読経が響き亘った。

(阿部昌宏天台宗宗務総長の挨拶は5面に全文掲載)

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

一時間はけっしてただの一時間ではない。それは香りや、音や、さまざまな計画や、気候などのつまった壺(つぼ)である。

「失われた時を求めて 見出された時1」  マルセル・プルースト

 先月よりマスク着用は個人の判断にゆだねられることになりました。実に3年ぶりとなるマスクなしの春を迎えています。

 改めてマスクをしないで外に出てみれば、桜が匂い立つかのように咲き染め、春特有の柔らかさのある香りが鼻をかすめるかのようです。(残念ながら花粉症に悩まされる季節でもありますので、アレルギーをお持ちの方は長い時間マスクを外すことはできませんが)やっと、春の訪れを、目や耳だけでなく、香りでも感じることができるようになりました。

 香りというのは不思議です。私たちは物を食べるときに、においがしなければ味がほとんどわかりません。また食べ物から漂(ただよ)う香りに、その食べ物の味を思い出し、空腹を感じることさえあります。

 また、食べ物だけでなく、ある香りを嗅(か)いだ時に、かつて同じ香りを嗅いだ時に見たものや聞いた音、感じた温かさや冷たさが、鮮明に強烈によみがえって記憶が溢(あふ)れてくることもあります。

 この3年間はマスクにさえぎられてしまっていた香りは、私たちの生活の中で、とても重要なものであったように思うのです。

 まだ健康面や様々な事情で人前ではマスクを外せない方もいることでしょう。そういった方は安全な場所でそっとマスクを外し、香りを嗅ぐという感覚をともなって時間を味わってみてください。

 その瞬間にあなたに見えているもの、聞こえている音、感じている香りや肌の感覚はどのようなものでしょうか。この瞬間の積み重ねが時間となっていくのです。

 時間は決して無為(むい)に流れていくものではありません。私たちが今、目、耳、鼻、肌で感じていることや、頭で考えていること、想いがつまった「壺」なのです。

 みなさまのかけがえのない「壺」が、春のやさしさに満ちたものでありますように、願っております。

鬼手仏心

『和』の字考

 和風月名は、多く農耕等に縁がある。四月では卯月に加えて、植月(うえ つき)・種月(う づき)などが知られ、穀物などの種蒔きなどの好機を指している。

 昨年来、ロシアの一方的武力侵攻に苦しむウクライナはヨーロッパ有数の穀物輸出国として知られており、平和がもどって農作業が滞りなからんことを切に願って表題を「『和』の字考」とした。

 『和』字はその古形が『咊』と表記され、偏(へん)と旁(つくり)が後世に左右入れ替わったそうである。口偏に禾(のぎ)はイネないし穀物全般を指すそうである。咊すなわち『和』字は人が口にする穀物が整った安らかな暮らしを表徴するごとくである。

 少しく蘊蓄(うん ちく)にこだわれば、『和』は「やまと」、「日本」そのものを指す語であるが大陸ないし我が国の古称は「倭」と表記されていた。七世紀に入って大陸からの貶(へん)称(しょう)に代えて好字の『和』字を用い、国号として定着させたそうである。

 さて『和』の音読みは「ワ」「カ」の二通りであるが、訓読みは多くが辞書に搭載されている。字源搭載分を挙げれば、和らぐ、睦む、たいらぐ、なかなおりする、かなう、あう、したがう、なごむなどは、落ち着いて安定した心持ちを表し、やわらか、和やか、和える、平らか、うららか、のどかなどは状況をやや客観的に示すようである。これらの全ては、「平和」が前提となって可能となる景である。

 近頃、「平和」や「世界平和」の語が軽めに多用されているように思えてならない。「平和」とは人々が安らかで幸せに暮らせる『和』が必須の前提となり、切実に希求するものであることを肝に銘じておきたい。

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