天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第236号

東国巡錫に思いを馳せて 群馬教区

 群馬教区(三浦祐俊宗務所長)は10月4日、比叡山延暦寺根本中堂で伝教大師一千二百年大遠忌報恩法要を奉修した。報恩感謝を捧げ、群馬県が東国巡錫の地であることを広く周知し、後世に御事蹟を伝える決意を宝前で誓った。

宗祖伝教大師と群馬県との縁は深く、今から1205年前の弘仁8年(817)、東国巡錫の折りに法華経を講説され、国土と人心を鎮めるために法華経を収めた六所宝塔を建立された。その地には淨法寺(藤岡市)があり、境内には相輪橖と、教区が平成2年に建立した高さ7mの伝教大師巡錫之像から、東国巡錫のお姿を偲ぶことができる。
群馬教区では、2020年10月、檀信徒含め約240人規模の延暦寺での大遠忌法要を予定したがコロナ禍により延期。翌年も7月に計画したが感染者数増加により断念せざるを得ず、実に2年越しに法要を実現させた。

法要は、感染防止の観点から出仕僧侶と随喜者は伝道師のみとした計40人が参加。天台宗と延暦寺の役員出席のもと、午後2時半に導師の三浦宗務所長と出仕僧らが延暦寺会館から根本中堂まで練り歩いて入堂。伝教大師和讃を参列者全員で唱え宗祖のご遺徳を偲んだ。
法要後には、根本中堂内陣荘厳費を水尾寂芳延暦寺執行に贈呈した。

阿部昌宏天台宗宗務総長は「21世紀は心の時代と言われる。一人ひとりが生まれながらに持つ仏性に目覚め、いのちの大切さに気付き、他の幸せを願う心が沸き起これば自他共々に真に安らかな光に包まれる。“忘己利他”、“一隅を照らす”の旗印を高く掲げ、生きとし生けるものすべてが安寧と調和を保ち、平和と安寧を享受する法華一乗の社会、浄仏国土建設の実現に向け共に邁進してまいりたい」と呼び掛けた。また水尾延暦寺執行は「宗祖への報恩、恩返しとして与えられた一隅は何なのか、何を次の世代に引き継ぐのか今一度考えたい。群馬教区の率先垂範の行動に期待申し上げます」と感謝を述べた。

三浦宗務所長は「心を新たに、お大師様のご遺徳を偲び、報恩感謝の心を込めて日々を過ごしてもらいたい。そして、お大師様は群馬に来られましたよ、淨法寺様には大きなお大師様がいらっしゃいますよ、と全国津々浦々まで広く伝えて参りたい」と感無量の様子で挨拶した。

なお10月3日から5日にかけて第47回伝道師補任祖山研修会も実施した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

能ある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、目に見えない力を貸しているんだよ。

山本周五郎

山本周五郎は名も無き庶民の哀感あふれる生活や、武家社会における様々な葛藤に苦しむ武士の姿などを描いて名高い時代小説作家です。掲げた言葉は、『さぶ』という代表作に出てくる言葉です。

人間は誰もが素晴らしい能力を持っているわけではありません。それに、大抵はひとつの分野において傑出した能力が認められるもので、オールマイティではありません。また、いろんな分野でそれぞれに能力を誇る人、誇れない人が大勢います。そうした人たちが生きて形づくっているのがこの世の中です。つまりは様々な能力ある人、ない人が錯綜した網の目のような関係を作っているのです。

『さぶ』という小説も、かっこよく器用ないわば能のある若者と、誠実だが愚鈍な若者との友情あふれる物語です。能力の是非を越えたところにあらわれる人と人との関係を描いています。
能ある人間は、しばしば我が身ひとりの力で能力を発揮し、成功への道を歩むことができると思いがちです。しかし、必ず挫折するときが訪れます。そのときになって初めて他の人々の存在の重さに気づきます。自分の気づかないところで、支えてくれる多くの人たちがいることを知るのです。

この現代社会の仕組みは、昔に比べると様々な分野にわたって拡大し、それも細かくわかれています。そのため、組織が多くの人間一人ひとりの力によって成り立っていることが、見えにくくなっています。それだけに、いつも心に留めておきたい言葉です。

鬼手仏心

布教師になっていく

天台宗布教師中央養成所の研修会で、指導する講師が自身の体験談を語り出した。

ご夫婦がお寺の庭を拝観していた。雨が降りだし、強くなってきた。戸を閉めようと縁側に出た。まだ2人の姿がある。長い時間座ったままなので、何気なく声を掛けた。夫婦は訥々(とつとつ)と話を始めた。「娘を亡くしました。娘の名前と同じお寺はないかと検索し、娘の名前の一字が付いたこの寺に来ました。帰る道中、娘の後を追って死のうと2人で決めています」

この話を聞いて夢中で言葉を探し、必死に話を続けた。しばらくして父親が「お坊さんに話をして、お坊さんの話を聞いて、もう少し生きてみようと思いました」と言った。夫婦を見送りながら、雨が強くならなかったら、声を掛けなかったら、との思いが過(よぎ)りましたと。

僧侶は、命のやり取りの現場に立つ、言葉で人の人生を変えることがある。布教師の言葉はお釈迦様や伝教大師様の代わりに教えを説いていると指導を続けた。
平成23年、東日本大震災が発生した時、齊藤圓眞教学部長は被災地に寄り添う僧侶の責務を感じていた。陸奥教区の住職に電話をかけた。「巡回布教を考えている」。時間を置いて電話が鳴った。「無理だ。まだ混乱は続いている」。巡回布教は叶わなかったが、やがて、天台宗布教師中央養成所開設の準備が始まる。
養成所も開設して9年になる。修了生は28名、講師陣の熱心な指導に支えられている。今後は、修了生プロフィールの作成、布教の場の提供、交流会の開催など修了後の研鑽を図っていきたい。

来年3月、東日本大震災慰霊法要は十三回忌を迎える。あの時、模索した巡回布教を養成所修了生と共に実施できないかと考えている。法華経の教えは人々のために、人々と一緒に行動するということではないだろうか。宗祖伝教大師は、それを菩薩と称された。

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