天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第235号

宇佐神宮で『法華懺法』奉修―伝教大師一千二百年大遠忌法要―

 大分県の宇佐神宮において9月26日、九州東教区(安部暁昇宗務所長)主催で「伝教大師一千二百年大遠忌法華懺法」が本殿で営まれた。伝教大師が入唐求法にあたり渡海の無事を祈願された八幡大神(宇佐八幡大菩薩)に神恩感謝を捧げ、宗祖の遺徳を讃えた。

 宇佐神宮は八幡宮の総本社であり、天台宗との関係も深い。宗祖伝教大師が入唐求法の際に宇佐神宮で祈願し、帰国後にはその感謝を込め千手観音尊像と大般若経二部一千二百巻、法華経一千部八千巻を奉納、法華八講を修した。そして六所宝塔の一つ安南の宝塔を建立することを発願されている。また同宮に近い国東半島に点在する寺院は、宇佐八幡の生まれ変わりである仁聞菩薩が養老2年(718)に開基したと伝えられており、神仏習合の原点といわれる六郷満山を開いた。

 それらの歴史的背景から明治期以前には、日常的に法華経が講じられてきたが、神仏分離、廃仏毀釈令により途絶えてしまう。しかし大正7年に一度、営まれたのを経て、昭和53年5月に復興。以来、九州東教区が毎年法華懺法を営み報恩感謝を捧げている。また10 年毎に、天台座主猊下による『法華八講三問一答』法要が営まれており、最近では平成30年に森川宏映天台座主猊下がご親修された。コロナ禍で3年ぶりとなった法要には、阿部昌宏天台宗宗務総長、水尾寂芳延暦寺執行を来賓に、調声(導師)の安部宗務所長、秋吉文隆教区顧問ら総勢25名の出仕並びに随喜僧侶らが神職とともに本殿までを参進。本殿で法要が営まれ、神前に玉串が奉奠された。法要後、参集殿にて開催された記念式典で小野崇之宮司は「大神さまが悦ばれた清めの雨中での法要は、まさに神仏一如。天台宗の皆さまと更にご縁を深めたい」と感謝し、森川天台座主猊下との思い出にも触れられた。

 阿部宗務総長は「今日の法要はお大師様の教えを次の世代に繋げていく取り組み。また能行能言で、我々僧侶が身をもって実行しながら檀信徒を教化していかねばならない。大遠忌を終えた今を新たな第一歩として行動して欲しい」と呼びかけた。また水尾延暦寺執行は、森川猊下がご親修のおり、随喜した檀信徒らに述べられたお言葉を紹介し挨拶に代えた。

 この日は、平成21年に開宗千二百年慶讃大法会の円成を記念して教区が境内に建立した『伝教大師 安南豊前宝塔院顕彰碑』前で役員らが法楽を捧げた他、法要終了後には研修会を開催。水尾延暦寺執行による記念講演が行われた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

人類ははじめて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。
これこそが人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である。

ウィンストン・チャーチル

 今年の比叡山宗教サミットで発表された『比叡山メッセージ2022』は、ウクライナ侵攻を続けるロシアを「核の使用をちらつかせてまで政治的に野心を遂げようとする大国」と非難しました。本当にその通りだと強く同意します。

 戦争は最新の技術の集大成が実行される場でもあります。戦闘機が初めて登場したのが第一次世界大戦でした。後のイギリス首相となるチャーチルはこの戦争振り返り、1923年に『世界の危機』を公刊、次のような言葉を記しています。

「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレクサンダーやシーザーやナポレオンが兵士たちと共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官たちに取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。(中略)これから先に起こる戦争は、女性や子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。(中略)やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる。(中略)人類ははじめて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。これこそが人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である。」

 この年にはまだ核兵器は計画すらされていませんでした。チャーチルの言葉はある種の予言のようなものとなったのです。
 これが人類の栄光と苦労の最終到達の運命であるならば、こんなに悲しい現実はありません。

鬼手仏心

聖徳太子さまの杖

 比叡山西塔は、山内で最も凛として厳かな杉の大木に囲まれたところで白霧が流れる静寂な境内です。西塔には、同じ大きさで同じ形の2つのお堂、常行堂法華堂(にない堂)があります。その間を潜ると眼下に見えるのが転法輪堂(釈迦堂)で、大きな屋根のきれいな曲線に驚きと感動を覚えました。

 西塔常行堂法華堂(にない堂)の前には椿堂があります。椿堂といわれる由縁は、聖徳太子が比叡山にお登りになった時、杖として使った枝がお堂の傍らでやがて根づいて芽を出して椿の木になったとの伝説によります。

 聖徳太子は天台大師の師である、慧思(えし)禅師の生まれ変わりとも、観音菩薩の化身とも言われます。椿堂に伝わる伝説は、太子を尊び信頼して信仰するとの想いをいつまでも伝えるとの願いの現れだと思います。また、聖徳太子は念持仏として栴檀(香木)でお造りになった六臂如意輪観音像(ろっぴにょいりんかんのんぞう)、白銀の四臂如意輪観音像、黄金の二臂如意輪観音像の三体を大切に護持していました。このうちの、黄金二臂如意輪観音像が椿堂ご本尊として奉安されました。
 椿堂ご本尊如意輪観音像は元亀の法難(焼打ち)の折に三井寺へ避難していましたが、天正年間の比叡山延暦寺再興の時に、改めて椿堂本尊として戻り、千手観音像の体内に納めて安置されました。

 本年は聖徳太子一千四百年御遠忌記念として西塔椿堂、特別御開扉として千手観音像が公開されています。
慧思禅師の生まれ変わりと云われる聖徳太子ゆかりの椿堂で太子の遺徳を偲んではいかがでしょうか。

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