天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第224号

特別展「最澄と天台宗のすべて」東京国立博物館ではじまる
――秘仏など名宝揃う貴重な期間

 宗祖伝教大師一千二百年大遠忌を記念した特別展「最澄と天台宗のすべて」が東京国立博物館平成館で10月12日から始まった。秘仏をはじめとしたゆかりの名宝が出展されており、開宗から江戸時代までの天台宗の歴史を知る貴重な機会となる。

 特別展は、令和3年から4年にかけて東京(11月21日まで)、九州(令和4年2月8日~3月21日)、京都(令和4年4月12日~5月22日)にある国立博物館で開催する。延暦寺や全国の天台宗寺院等が所蔵する秘仏や、国宝、重要文化財の宝物など約230点が3館で展示される。

 各会場ともに地域性にも重点を置いた特色ある展示で観覧者を迎える。東京会場では、比叡山延暦寺における日本天台宗の開宗から江戸時代までを6章立てで構成。最後の展示室では、中央に根本中堂内部を一部再現し、時計回りにめぐると全国の天台宗の特色ある仏像を観ることができる。

 展示を担当した皿井舞平常展調整室室長の話では、伝教大師自刻の伝承をもつなどのゆかりの尊像を選んだという。
 中でも、三岐教区願興寺(蟹薬師)の薬師如来坐像は、伝教大師が東国巡化の際に自刻された伝承が遺されている。

 また京都・法界寺の薬師如来立像は、自刻された根本中堂御本尊の薬師如来像に最も近い姿をしていると言われる秘仏で、今回特別に出展された。その他、日本最大の肖像彫刻である深大寺の慈恵大師像は205年ぶりの出開帳であり、眞正極楽寺の現存最古の阿弥陀如来立像は寺外初公開される。また、現存する伝教大師自筆の手紙、国宝の尺牘(せきとく)、インド、中国、日本の天台ゆかりの人物たちを描いた国宝の平安絵画十幅の展示もある。
 音声ガイドのナビゲーターは歌舞伎俳優の市川猿之助さんが務めている。

 開会前日の10月11日には関係者向けの内覧会があり、天台宗の阿部昌宏宗務総長、甘井亮淳法人部長、延暦寺の水尾寂芳執行、小森文道副執行、今出川行戒副執行らが出席。また東京教区の林觀照宗務所長はじめ教区内住職らが参加し、期間の無事を祈る法楽が営まれた。

 なお、混雑緩和のため「事前予約制(日時指定券)」を導入しているが予約不要の「当日券」もある。詳細は東京国立博物館ホームページにある「展覧会公式サイトチケットページ」へ。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

なんびとも一島嶼(とうしょ)にてはあらず。
なんびともみずからにして全きはなし。
人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。

ジョン・ダン

 ジョン・ダンは、16世紀から17世紀に生きたイングランドの詩人。後半生にはイングランド国教会司祭でした。掲(かか)げた詩文は「人は一つの小島ではない 独立した存在ではない 人は皆大陸の一部のようなものである」という意味です。

 この人は、それほど知られてはいません。でもヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』という有名な小説の題名は、この文章の後半にある言葉から採ったものです。この言葉は知っている方もおられるでしょう。この題名は「弔いの鐘は他の誰かのために鳴っているのではなく、あなたのために鳴っているのだ」という意味であり、人間は皆、つながっている、たとえ他の人が亡くなっても自分自身の一部を失っているのだと言おうとしているのです。事実、米国人であるヘミングウェイは、スペイン内戦で反ファシストの立場から、積極的に参加しています。これも他の人びとの苦しみを自らのものとする考えの表れでしょう。

 国と国、そして人種、民族、宗教といった違いで、争いは起きますが、その争いによって直接的に被害を受けるのは、世の民衆です。政治的な理由から分断されてしまうと、それぞれの利害を巡って互いに反目し衝突してしまうのですが、たとえ人種、民族、宗教が違っていても、元々は助け合い、日々協調して生きるのが人間社会だと思います。

 共生が本来のあり方であったことを今一度思い起こすための言葉が、冒頭に掲げた詩文です。今、世界では、分断と敵対が人びとを覆い、互いに戦うという哀しい現実が多々あります。私たちは、孤立しているのではなく、皆つながっているのだという意識を今一度確認することが大切だと思います。

鬼手仏心

「守破離(しゅはり)」の教え

 今年7月、新型コロナウイルス感染症が、わが国はじめ世界中猛威をふるっている中ではありましたが、縁あって大相撲名古屋場所で、自坊に常盤山(ときわやま)部屋(親方・元小結隆三杉)が宿舎を構えました。大関貴景勝、元関脇隆の勝はじめ、入門したての力士も毎日真剣に稽古(けいこ)に励んでいました。

 「守破離(しゅはり)」という言葉があります。仏道の修行をはじめ、剣道や柔道、空手や相撲、また茶道、華道、落語や宮大工などにおける段階をしめした言葉で、師匠や棟梁(とうりょう)、親方の教えの基本となる型、作法や技を忠実に守り、確実に身につける段階を「守」といいます。「破」は、師匠や親方の教えをあえて破り、他のものを取り入れ、自らのやり方を構築し、心技を発展させる段階。「離」は、指導者から離れ、自らの独自性を出して、新しい境地を生み出し確立させる段階をいいます。この三段階をもって「守破離」とし、本来の修行が完成するとします。

 「守破離」は、戦国時代を代表する茶人「千利休(せんのりきゅう)」の教えを和歌の形式にまとめた「利休道歌」にある和歌の一首で「規矩作法り尽くしてるとも、るるとても本を忘るな」に由来します。どんな横綱、大関、名人、達人といわれる人も、基本が最も大切で最後は基本にもどる、と教えています。

 常盤山親方の師匠である、初代横綱若乃花は、「土俵の鬼」といわれるほど強く、自分に対して厳しかったといわれます。名横綱といわれるほどの人でも、「しこをふむ」など基本を大切に繰り返し稽古に励んだといわれます。

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