天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第201号

森川座主猊下、ローマ教皇とバチカン以来の再会
教皇のメッセージに賛意

森川宏映座主猊下は、11月24日に広島市平和記念公園で開かれた「平和のための集い」に参列され、ローマ教皇フランシスコ聖下と握手を交わされた。互いに笑顔で挨拶され、平成28年のバチカン以来の再会を共に喜ばれた。

ローマ教皇の来日は38年ぶり。フランシスコ聖下は11月23日から26日までの日程で、長崎、広島、東京で、天皇陛下との会見やミサなどの諸行事、核兵器に関するメッセージを発表されるなどの日程をこなされた。

 森川座主猊下は、24日に平和記念公園で開かれた「平和のための集い」に招待され、全日本仏教会の江川辰三会長(曹洞宗管長)、大谷光淳浄土真宗本願寺派門主ら仏教代表と諸宗教代表者19名と共に参列された。集いは午後6時40分から始まり、フランシスコ聖下は広島県知事や広島市長らの歓迎を受けた後、「平和の巡礼者として、この地の歴史の中にある悲惨な日に、傷と死を被ったすべての人との連帯をもって悼むために参りました」と記帳。続いて森川座主猊下ら諸宗教代表者と握手をしながら一人ひとりに挨拶された。

 被爆者代表者らへの挨拶後、原爆犠牲者に献花され、慰霊碑の前に置かれた燭台に火を灯し、会場全員で一分間の黙祷を捧げた。2名の被爆者の証言を受け、フランシスコ聖下は平和メッセージを読み上げ、「戦争のために原子力を使用することは、現代において犯罪以外の何ものでもない。核兵器の保有は倫理に反する」と厳しく非難。また「自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはない」とも述べた。そして「現代世界はグローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれている」と、相互連帯を強調した。

 フランシスコ聖下が会場を後にするまで、2千人の参加者は拍手で見送った。終了後、森川座主猊下は「私たちの〝いのち〟は神仏から授かったものである。そのいのちを、人間が作った凶器である核兵器で奪うことは言語道断だ。また、原発はこの世からなくさなければならない。それが『己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり』という伝教大師のご精神にも通じるだろう。教皇様は、みなで力を合わせて平和を作っていこうと呼びかけられたと思う」と賛同の意を表されていた。

(写真 (c)CBCJ)

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

時は流れない。それは積み重なる  

秋山 晶 (コピーライター)

 1991年、サントリーのウィスキー・クレスト12年のTVコマーシャルで流れたコピーです。

 かつて『007シリーズ』のジェームス・ボンド役などで日本でも人気があったショーン・コネリーが出演したこのコマーシャルは、一世を風靡(ふうび)しました。頭髪が後退し、顔周りの髭(ひげ)は白く、顔に皺(しわ)を刻みながらグラスを傾けるその姿を、現在も記憶されている方もいらっしゃるかと思います。
 その皺、そのほろ苦い微笑みに、過ぎ去った時間の重みを感じさせられるのと同時に、年を重ねた大人のダンディズムがそこにありました。「老い」に対する印象が変わったものです。
 誰にとっても時間は平等に与えられているものです。一年という時が、誰かにとっては短く、他にとっては長いということはありません。しかし、流れる時を止めることはできませんが、無為に流されないようにすることはできます。

 まだ若い時分のことですが、年長者からかけられた言葉があります。「一年が経つのは年をとるにつれて早く感じる。20歳の一年は人生の20分の1だが、60歳になるとそれが60分の1になる。60分の1なんて、人生のほんの一時に過ぎないように思える。だから心して一年を過ごさないといけないんだ」と。その方はすでに鬼籍に入られましたが、配偶者に先立たれ深い悲しみを背負われながらも、最期までライフワークに挑まれておられました。

 楽しいこと、嬉しいこと、つらいこと。素晴らしい出会い、悲しい別れ。生きてそれら一つ一つに丁寧に向き合っていくのは、たやすいことではありません。覚悟のいることです。
 皆さまの過ごされてきたこの一年間はいかがでしたか。どのような時を重ねてこられたでしょうか。積み重ねてきた時間が自分にとっての糧(かて)となり、ダンディズムとして刻まれるように願っております。

鬼手仏心

齢(よわい)を重ねること

 人間は自然のまんまであったなら、いくら齢を重ねても「成熟」することはないといわれます。
 日本人の心に大きな影響を与えた『徒然草』で、そのことについて兼好法師はこう書き残しています。

 西大寺の静然上人が、腰は曲がり、眉毛は真っ白で、当時の常識としては(あるいは今も)とても高徳にみえる様を、西園寺の内大臣が「あな、噂のけしきや」(ほんとうに噂どおりの素晴らしい高徳さよ)と嘆じました。ところが、日野資朝公は「年の寄りたるに候」(年を召されているわな)と申された、というのです。
 そして後日、日野公は内大臣に、むく犬の老いさらばえたのを引いてきて、どうだ、素晴らしく尊いものであろうとからかったというのです。
 兼好法師の評定はどうでしょう?「ただ単に歳をとったというだけではなんの取り柄もなく、むしろ醜(みにく)くいとわしい」と断じています。

 ずいぶん厳しいものの言いように思われますが、実はお釈迦様も同じようにいわれています。
「僧侶たちの集まりにおいては、ただ、単に歳をとっただけの人を長老とは呼ばない」とそうはっきりおっしゃっています。つまりは、二十歳には二十歳の努力目標がある。六十歳には六十歳の努力目標があるということです。
 
これまで数多くの高徳の大僧正とご縁をいただきましたが、こうした努力をおろそかにされている方はひとりもおられませんでした。
 そしてひたすらに「謙虚」に人生に臨まれます。ひとりの人間、ひとりの僧侶として。その過程が尊いのであります。これからも、そのことを心に留めて歩んで行きたいと思っております。

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