天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第196号

「伝教大師最澄1200年魅力交流委員会」
6月11日 延暦寺で記者会見

宗祖大師の御教えを通して日本文化に新たな息吹を

 伝教大師一千二百年大遠忌を2021年に迎えるにあたり、去る5月24日に「伝教大師最澄1200年魅力交流委員会」が設立され、その概要についての記者会見が6月11日、比叡山延暦寺書院において行われた。メディアからは33媒体、46名が出席し、関心の高さがうかがえた。同委員会は、地元の滋賀、京都の自治体、財界、大学などの委員によって構成される。比叡山法灯護持会会長の鳥井信吾・サントリーホールディングス株式会社副会長が委員長に、加藤好文・京阪ホールディングス株式会社社長(当時)と三日月大造滋賀県知事が副委員長に就任、幹事を祖師先徳鑽仰大法会事務局の杜多道雄局長(天台宗宗務総長)と小堀光實奉行(延暦寺執行)が務める。

 委員会のコンセプトは「伝承~心の灯~」。伝教大師一千二百年大遠忌を機会に日本文化に新しい息吹をもたらすと共に、人材育成に生涯をかけられた宗祖伝教大師の魅力を人々に伝える交流を通じて文化や歴史、また寺社仏閣への関心を持ってもらうことを目指している。
 記者会見では、幹事の杜多宗務総長がこれまでの取り組みの経緯と趣旨説明を行い「一隅を照らす人材の育成に心血を注がされた宗祖大師のご精神を現代に活かし敷衍(ふえん)する責務を我々は負っている。伝教大師の業績を日本文化の中に位置づけ、その人となり、素晴らしさを多くの人々に受け止めていただくためにこの魅力交流委員会を立ち上げた。日本社会における精神的バックボーンとなることを確信している」と委員会設立の意義を強調した。
 鳥井委員長は「宗教の垣根を超えて日本文化の魅力を発信したいとの意を受け、委員長をお受けした。伝教大師最澄を通じて日本文化の再発見をし、その魅力を弘めていきたい」と抱負を語った。また、加藤副委員長、小堀光實幹事、委員の千宗屋・武者小路千家第5代家元後嗣からも今後の方向性などについて発言があった。

学生も参画

 記者会見では取り組みの一つとして「大学コラボプロジェクト」が紹介された。大学生たちが中心となり、大学生の視点や発想を活かした企画、アイデアを出し「魅力交流」の具現化を図るもの。会見では、学生達も出席し、様々な取り組みの企画を説明した。
 推進のスケジュールとしては一千二百年大遠忌を迎える2021年までの約2年半の間で様々な取り組みを行う予定。2019年度は、土台を形成する期間とするが、「大学コラボプロジェクト」を始動し若い世代が考え、実践するプログラムを開発するとしている。
 2020年度は、メイン期間とし企業や団体と若い世代が協働、日本の文化・歴史、寺社仏閣への興味を喚起させるプログラムの開発・実施をするとしている。  
 最後の2021年度には、大遠忌を機に、滋賀や京都への誘客を強化し、比叡山延暦寺で開催予定の「シンボルプログラム」と連動したプログラムを開催する予定。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

6歳の子どもに説明できなければ
理解したとはいえない

アルバート・アインシュタイン

 難しいことを易しく伝えることは困難なことです。伝える人がよく理解して、自分のものにしていないとわかりやすく説明することはできないからです。
 つまり、難しいことを難しいままに説明する人は、本人がそのことについて本当はよくわかっていないか、もしくはわざと難しく説明しているのか。「わざと」の場合は、自分が相手に対して優位に立ちたいなどの下心があるのかもしれません。
 本来「言葉」とは自分の思いや考えを、自分以外の人に伝えるための手段なのですから、相手が理解できないように伝えるということは間違っているように思います。
 作家の井上ひさしさんは、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く、面白いことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」をモットーとしました。言語に対する知識が深いことで有名な井上さんだからこそ、正しく興味深く相手に伝わるように意識しながら、作品をつづってこられたのです。
 ところで、アインシュタイン博士は一般相対性理論、特殊相対性理論を展開したことで有名です。「相対性理論」という名前を聞いたことがある人は多いですが、難解な物理学の理論のため、理解している人は多くはないでしょう。
 「相対性とはいったいどういうものなのか」との質問を受けた時、博士はこう答えたといいます。
 「熱いストーブに1分間手を載せてみてください。まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう。
 ところが、かわいい女の子と一緒に1時間座っていても、1分間ぐらいにしか感じられません。それが、相対性というものです」。
 とても簡単な言葉で、ユーモラスな説明ですね。「相対性」について考え、知り尽くした博士ならではの言葉といえます。

鬼手仏心

令和の出典から考えてみたこと

新元号「令和」の典拠、いわゆる出典は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい)後(ご)の香を薫す」とされる。
 初めて、日本の文学作品である『万葉集』を典拠としたと騒がれたものである。
 しかし、はたしてそうなのか。文中の語句は、中国の詩賦が全く念頭に無かったのだろうか。
 中国に帰田賦(きでんふ)という賦がある。後漢の文人・張衡(ちょうこう)(七八~一三九)のものである。
 これには「仲春令月、時和気清」とある。張衡が時の帝に召されたものの、政治腐敗に嫌気がさして田舎に帰りたいという背景を持つものである。確かにこちらだと、元号の典拠としてはいささか差し支えがあろう。
 だからという訳ではないだろうが、新元号は「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、決定した」とされる。
ところで、伝教大師の『伝述一心(でんじゅついっしん)戒(かい)文(もん)』に「道は人を弘め、人は道を弘む。道心の中に衣食あり。衣食の中に道心無し」とある。
 「道弘人。人弘道」は、論語の「子曰。人能弘道。非道弘人也。」(子曰く、人能く道を弘む。道、人を弘むに非ず。)が念頭にあることは間違いないだろう。それを伝教大師は、換骨奪胎(かんこつだったい)して使われたのだと思っている。
言葉は時代の背景と個人の想いを映している。
 それに留意しないと、的外れな想いを抱いたり、本来の想いをねじまげてしまう。そのことに、気をつけたい。

ページの先頭へ戻る