令和ゆかりの太宰府で 九州西教区
六所宝塔建立10周年記念法要
九州西教区(嘉瀬慶文宗務所長)では、4月22日に太宰府宝満山にて「六所宝塔」(如法経塔)の建立十周年記念法要を厳修した。六所宝塔は平成21年11月に伝教大師の遺徳を偲び大師顕彰の意味を込めて建立されたものである。また太宰府は新元号「令和」ゆかりの地でもあり、参加者は新しい時代を迎えるにあたり、あらためて伝教大師が祈念された国家安泰、仏法興隆、国民安楽のご精神を護持してゆく決意を新たにした

来賓には甘井亮淳天台宗財務部長、藤光俊宗議会議員、角本尚雄西教区顧問らが出席。また宝塔と建立地を護持している森妙香妙香庵住職とその篤信者らが参加した。
「宝塔」の基となったのは、伝教大師が国家安泰、仏法興隆、国民安楽を祈念する拠点として日本各所に建立を企画した「六所宝塔」である。六所宝塔は歴史の中で焼失したが平成21年11月に開宗千二百年慶讃大法会記念事業として、太宰府の安西筑前宝塔跡に再建された。同時期に九州東教区によって宇佐神宮にも宝塔が建立された。
嘉瀬導師は「宝塔と宝満山の地を守ってこられた森住職と篤信者の皆様に敬意を表す。次の10年にむかって天台宗、九州西教区としてしっかりと御護りしてゆくとの決意を新たにするものである」と挨拶した。
伝教大師は遣唐使として渡海する前年の延暦22年に竈門山寺に籠もって薬師如来四体を刻んで法華経を講じ、宇佐八幡大神を拝して渡海の無事を祈った。
日本に帰国した大師は、弘仁五年に宇佐神宮を巡拝し、神恩感謝のために宇佐神宮(当時は弥勒寺)に六所宝塔のひとつである安南宝塔を建立することを発願した。
また、慈覚大師は承和十四年に唐より帰国した時、竈門山寺(当時は大山寺)に立ち寄って金剛般若経一千巻を転じた。その後、法華経一千部を納める安西宝塔が完成したといわれる。
竈門神社のある宝満山の遺跡発掘調査は平成二十年に太宰府教育委員会によって行われ「本谷礎石群」が発見された。その基壇周辺より平安期の瓦や小金銅仏が出土し、年代や文献と一致した。このため安西筑前宝塔と証明された。