天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第192号

天皇陛下の退位、皇太子殿下の即位近づく
    森川座主猊下「大御心は無窮」と

 去る2月19日に招集された第144回天台宗宗議会において、森川宏映天台座主猊下は天皇陛下の退位と皇太子殿下の即位について「歴代天皇陛下の伝えられてきた皇統の弥栄(いやさか)を寿(ことほ)ぎ奉り、国家の繁栄、世界の安寧を祈念申し上げ、新しき時代をともどもに奉祝いたしたい」と「お言葉」を述べられた。

 天皇陛下は4月30日に退位され、皇太子殿下が5月1日に即位される。天皇陛下の譲位は江戸時代後期の光格天皇以来およそ200年ぶりで、明治以降では初めて。
 杜多道雄宗務総長は、同宗議会で「天台宗では、御即位を内外に示す『即位礼正殿の儀』が行われる今秋に天皇陛下即位奉祝行事を行う」と明らかにした。また総本山延暦寺では、4月28日から5月1日まで天皇陛下御即位奉祝臨時御修法を奉修する。
 森川座主猊下は、昨年末に85歳の誕生日を迎えられた天皇陛下が記者会見で述べられた
 「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」とのお言葉を引用し、
 「私事ですが、先の大戦の時に青春時代を過ごし、大正、昭和、平成という歴史の激動期を生きた者」には「誠にありがたく、同時に感無量なるものがある」と平和の尊さを訴えられた。
 「お答え」に立った中村彰恵宗議会議長は、陛下が、
 「世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます」と述べられたことに触れて、
 「私どもの進めております比叡山宗教サミットによる宗教対話の重要性を痛感いたします」と更に宗教対話を進める天台宗の姿勢を鮮明にした。
 森川座主猊下は、
 「常に自然災害の脅威にさらされている我が国について思いをいたすとき、天皇皇后両陛下が被災地におもむかれ、膝を折って、被災者の手をとられるお姿が被災者の方々はもちろん、国民にとってどれほど心強く、励みになることでしょうか。『国やすかれ 民やすかれ』という大御心は御代替りによっても無窮でありましょう。歴代天皇陛下の伝えられてきた皇統の弥栄を寿ぎ奉り、国家の繁栄、世界の安寧を祈念申し上げ、新しき時代をともどもに奉祝いたしたい」と述べられた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ
(人が花や蝶を美しいと愛でることは、たわいもないこと。人間は、誠実に、物事の本質を追求してこそ心がすばらしいというものよ)

「虫めづる姫君」(『堤中納言(つつみちゅうなごん)物語』より)

 『堤中納言物語』は謎が多く、13世紀以前に成立していたのではないかといわれています。平安時代が舞台となる「虫めづる姫君」は、身分も高く頭も良いのですが、たいそう変わった姫君の話です。平安時代の高貴な姫君とは、眉を剃って丸く点を書き、お歯黒を付けて、部屋の奥で静かに過ごすものでした。
 ところがこの姫君は、「人はすべて、つくろふところあるはわろし」といって眉を剃らず、お歯黒にいたっては「うるさし、きたなし」と断固拒否。大声で話し、着物もまともではない。人が好んで観賞する花や蝶ではなく、気持ちの悪い虫をたくさん飼い、手のひらにのせて眺めている。仕えている侍女たちが怖がるので、身分の低い童たちにいろんな虫を集めさせる始末。なんともワイルドな姫君なのです。
 心配した両親が「世間の人は見目良いのを好むものだから、気持ちの悪い毛虫が好きな姫だと噂されては困るだろう」と言っても、「結構よ。万物を探求し結果を見届けてこそ、物の理がわかるというもの。そんな噂を気にするのは幼稚だわ」と一刀両断。両親を黙らせてしまいます。
 そんな姫君に興味を持った貴公子が、庭から姫君をこっそりのぞきます。すると、身なりを人並みに整えなくても、気品溢れる美しい少女であることがわかり、残念がります。
 風変わりで型破りな「虫めづる姫君」は真理を追求し、検証する「元祖リケジョ(理系女子の意)の姫君」といっても過言ではないでしょう。
 また、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』はこの姫君をモデルにしているそうです。千年近くも昔の物語ながら、いきいきとあざやかに、私たちの想像力をかき立てる姫君に魅了されてやみません。

鬼手仏心

すべては砂場で学んだ

 「何でもみんなで分け合うこと。ずるをしないこと。ひとをぶたないこと。使ったものは必ずもとのところにもどすこと。人のものに手を出さないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、ということ…」 これらは、『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(ロバート・フルガム著)という、以前にアメリカでベストセラーになった本にある言葉です。この本は、日本でもかなり話題を呼んだと記憶しています。
 「地球資源の公平な分配なくしては人間社会は機能し得ない」ならばどうしたらいいかと言えば「何でもみんなで分け合うこと」が必要です。
 「人間、および社会の建設的相互関係を見るに、暴力が総じて好ましくない結果をもたらす」からには「ひとをぶたないこと」ですね。
 社会生活を営む上で必要な基本的な行動規範は、このように幼稚園の砂場という「小さな共同社会」で育まれる、「単純なルール」から始まる、という見方に私も同感です。
 ですから、幼児教育というのは、本当に重要なことなんだと思います。
 大人になって現実の社会に入ると、いろいろと複雑で困難な問題に直面します。
 その時にいつも判断基準となるのが、幼い頃に繰り返し繰り返し身に付けたこうした行動規範だと、つくづく感じます。
 毎日毎日の幼児たちの行動を前に、ときには疲労感を憶えたり、微笑みを忘れ、愛情の感じられない対応をしてしまうこともあるでしょう。
 でも、この一瞬一瞬の育みがやがて、共同社会の立派な成員を創るのだと思います。 
 幼児の教育に携わる者として、いつも忘れないように心がけています。

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