天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第181号

福島教区で特別授戒会 −祖師先徳鑽仰大法会−

 祖師先徳鑽仰大法会の一環として営まれている特別授戒会が3月10日、福島教区で奉修され547名の仏弟子が誕生した。また東日本大震災復興祈願法要も併修され、物故者への供養と早期復興を願う読経が会場内に響いた。

 会場となった郡山市ユラックス熱海に伝戒大和上の大樹孝啓探題大僧正、随行長の杜多道雄宗務総長らが到着すると、県内全域から参加した戒弟らが玄関で出迎え、開始前から周辺一帯が法悦ムードに包まれた。
 まず第一部とし、午前11時半から東日本大震災復興祈願法要を厳修。導師の矢島義謙宗務所長が早期復興を宝前に祈願し、全員で般若心経を読誦。福聚教会総本部矢島八重子講師により物故者への供養の詠舞が奉納された。
 続いて随行長の杜多宗務総長が挨拶し、説戒師の矢島寛章教区布教師会会長が心構えを伝授した。
 そして特別授戒会が午後1時より開会され、荘厳された壇上で大樹伝戒大和上の言葉に戒弟一人ひとりが合掌して誓いの言葉を唱和した。また全員に「おかみそり」と、羯磨師の杜多宗務総長、矢島宗務所長から仏舎利が授けられた。
 大樹伝戒大和上は、震災から7年経ても今なお復興途上である状況を憂い「仏の力が皆様に授かり、お釈迦様がついて下さっているとの気持ちで過ごして欲しい。新しい力も湧いてくるはず」と励ました。
 また矢島宗務所長は「人生にはいろんな苦難がある。しかしながら御仏様を授かったからには自信を持って精進し、忘己利他の精神を実践しなければならない。素晴らしいご縁を授かった。手を携えて実りある人生を歩んでいきましょう」と呼びかけた。
 なお随行員は、水尾寂芳延暦寺副執行、教授師を即真永周延暦寺一山薬樹院住職が勤めた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

たった一言「いい詩だ」と云って下すったことが、やけになって、生きていたくもないと思っていた私を、どんなに勇ましくした事か

林 芙美子

 「いい詩だ」。
 小説『放浪記』で知られる作家の林芙美子がまだ世に出られず、もがき苦しんでいたとき、名のある作家、徳田秋声に、自分の作った詩が褒められたのです。このことが、どれ程、どん底にあった彼女を勇気づけたことでしょうか。
 ある人物の一言が、いわれた人にとってターニングポイントとなった良き例です。
 でも、その言葉が、褒める言葉か否定的な言葉なのかによって、反応も違ってきます。
 林芙美子の場合は、褒められて生き方への勇気を与えられたのです。が、反対に、けなされたり、存在を認めてもらえない言葉を浴びせられた場合の反応は、大きく分けて二通りありますね。
 「なにくそ」という思いから発憤して努力をし、やがて成功につながるのか、はたまた、否定されたことに意気消沈し、投げやりとなってやがて消えていくか、でしょう。
 投げかけられた言葉に傷ついて沈んでいった人にすれば、その言葉を発した人間には、恨みしか憶えず、その人物は憎しみの対象となってしまいます。林芙美子の場合などは、反対の例ですが。
 何気ない言葉、それほど思いを込めていない言葉でも、いわれた人間にとっては、大きな意味を持つことがあるわけです。そう思うと言葉というものは怖いものです。
 いった本人には、たとえ意味なく発した言葉であっても、その言葉が人の運命を変えるわけですから、よくよく気をつけて発言しないとだめですね。
 だとすると、やはり、人には希望につながる言葉、褒める言葉を与えることが大切だと思います。
 もちろん、その言葉がうわべだけのものであったり、おもねるような言葉でもなく、心底からの言葉であることはいうまでもありませんが。 

鬼手仏心

お内裏さまとお雛さま 二人並んですまし顔 森定 慈仁

 この記事がでる頃にはすでに時期外れだが、執筆しているのがひなまつりなのでお許しを。
 誰もが知るこのカップル、実はそのモデルが日本の神さまの代表、アマテラスとスサノオのご姉弟ということをご存じだろうか。しかも神話が語る姉弟ケンカの後ということを。
 海の統治をまかされたスサノオ、亡き母を恋慕し、アマテラスの統治する高天原にやってくる。我が領土を奪いにきたのでは、と疑念を抱いた姉は徹底抗戦の構え。スサノオの行動が誤解を招いて始まったケンカ。お互いの疑念をはらすためにアマテラスは三人の女の子を、スサノオは五人の男の子を産み落とす。ひな壇には官女が三人、お囃子(はやし)が五人、お気づきの通りこのモデルはそれぞれの神が産み落とした子どもたちである。
 つまり、ひな壇を飾るということは私たちの祖先である神のケンカの収束を、知らず知らずのうちに喜びお祝いしているとまで言ってしまうと穿(うが)ちすぎか。ただ、ひな壇を家族和合、仲直りの象徴として見ると趣きも変わってくるだろう。
 疑いが怖れを生み、怖れが争いをもたらす。昔から変わらない人の性。世界中でおこっている大小様々な争い。
兄弟ケンカも民族の衝突も紛争もすべて互いの「信じられぬ」という人の心の弱さから生まれる。
 法華経に信解(しんげ)という言葉が出てくる。仏を正しく理解し信じよという仏陀から我々へのお言葉ではあるが、人と人との間にもこの言葉は大事である。やみくもに信じろというのではない。ただお互いが正しく心の内を理解しようという気持ちがあれば争いにはいたらないだろう。
 互いの誠意を見せ合った姉弟に武力衝突はなかった。

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