天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第176号

建立大師相応和尚の尊像が生誕地に
−滋賀県長浜市・北野神社で除幕式−

御遺志が後世に受け継がれることを願い

回峰行の祖である相応和尚の一千百年御遠忌を記念し、滋賀県長浜市の北野神社境内に「建立大師相応和尚尊像」が建立された。10月2日には叡南覺範毘沙門堂門跡門主を大導師に除幕式が営まれ、地域住民らを含め約百人が参列し功績を讃え、遺徳を偲んだ。

北野神社本殿脇に建立された尊像は、御影石製で高さ約1・2m(台座を含め約2・4m)。比叡山延暦寺を遙拝するように建てられている。「の行」の御遺志が後世に受け継がれることを願い、北嶺回峰行者らが生誕地である長浜市北野での建立を発願。地元の協力を得て実現した。
 地元顕彰会や自治会員らが見守る中、大法会事務局局長の杜多道雄天台宗宗務総長、事務局奉行の小堀光實延暦寺執行、山岡智恢滋賀教区宗務所長らが尊像を除幕。法要には小森秀惠延暦寺一山法蔓院住職や叡南俊照、光永覚道、上原行照北嶺大行満大阿闍梨ら無動寺谷各住職が出仕し、参列者全員で相応和尚和讃を唱え報恩感謝を示した。
 法要後には建立に尽力した関係者らに杜多宗務総長から感謝状が授与された。
 杜多宗務総長は「一千百年御遠忌を迎えるに当たって、様々な行事が計画されており、今回もその一つ。今、思いやりの社会と言われている。この世の中だからこそ、相応和尚様の全てのものに仏をみて敬う教えを、是非多くの人の心に植え付けてもらえれば。この地から日本はもとより全世界に相応和尚様の御心と御威光が届きますよう願っています」と感謝を述べた。 
 また小堀執行は「これからも顕彰会、自治会、北野の皆様のお心が受け継がれ、多くの方々に御遺徳を偲んで頂ければ」と呼びかけた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「パワー」は「フォース」と違って、内なる力のことです 

サティシュ・クマール (イギリスの思想家)

「たとえば、種子は木となる潜在的な力をもっている。それがパワー」「内なる力がパワーであり、これこそが真の強さ」であるとクマールはいいます。
優しい人、謙虚な人。そういった人がパワーを持つ人だというのです。
あれ?力のある人ってそういう人のことを言わないのでは?
そう思われる方も多いでしょう。私たちにとって「力のある人」で思い浮かぶのは、腕っ節の強い人や社会に影響力があり、富、名声などがある人です。
「たとえば、軍隊や警察は、銃、戦車、核兵器、監獄などの強制力をもちます。人々を投獄し、拷問する暴力もまた、外なる力です。規制、法律、軍隊、武器、政府などによって、外から与えられる力」、クマールはそういった人の力はすべて「フォース」であると説き、「お金というフォースによって、それが他人に権力をふるうこともできる」といいます。
ここに「パワー」と「フォース」のはっきりとした違いがあります。
日本語では、英語の「パワー」と「フォース」はともに「力」と訳します。力という言葉をわざわざ状況によって分けて使うことはあまりしません。だから「力」の意味を混同してしまうことがあるのかもしれません。
ではいったい「内なる力」とはなんでしょうか。
その人から「フォース」を取り去り、その人に残った力が「パワー=内なる力」なのです。お金や権力や腕力ではなく、そういうものを除いてもなおその人にある魅力であり、その人の身の内から発せられる力、それが内なる力なのです。それは、優しさであり謙虚さであり、その人といて心地よい、一緒にいたい、と思わせる力なのではないでしょうか。
 あなたがこの世で最期に一緒にいたいと思う人は、パワーを持つ人ですか。それともフォースを持つ人ですか。
 そう考えると、私はパワーを持つ人になりたいと思うのです。

鬼手仏心

オリーブを咥えた鳩と虹

 今年九月十日より十二日にかけて、ドイツのミュンスター及びオスナブリュックで開催の『第三十一回世界宗教者平和の祈り』に参加する機会を得た。
 最終日、ファイナルセレモニー会場までの平和行進直前、突然の降雨と共に空に虹が架かった。衝撃が体を貫く。
 「平和の祈り」のパンフレットには、小枝を咥えた鳥と、それを囲む色とりどりの三角形群がデザインされていたが、それは鳩と虹ではないのか。
 旧約聖書創世記のノアの方舟の記述では、方舟から放たれた鳩はオリーブの枝を咥えて持ち帰り、水が引いたことを教える。その後、神は再び洪水を起こさぬ約束として、空に虹を架けた。
 オリーブの枝を咥えた鳩は、やがて平和の象徴となり、ピカソが一九四九年のパリ国際平和会議に発表したポスターによって、浸透していく。
 一方の虹といえば、アルド・カピチン主催の一九六一年ペルージャからアッシジへの平和行進で、平和の旗(レインボーフラッグ)として使われた。
 虹は可視光のすべてのスペクトルを含み、混色によって平和を象徴する白色となる。また、各色の間に明確な境界がないため、多様性の下の統一を意味するとされるからか。 
 そうしてみると、パンフレットのモチーフは、共存の下の平和、多様性を損なうことのない統合を表したものと言えるだろう。
 今回の「平和宣言」にも『対話を続けながら、誰一人として孤立させることなく、多様性が脅かされることのない「精神の統合」を創り上げなくてはいけません』(原文英語)とある。
 聞き覚えのある言葉が浮かぶ。「輪円具足」。簡明に謂えば、あらゆるものを包摂し、円輪の如く秩序を保ちながら個性を失わない、調和と共生の世界を表す「曼荼羅」。ああ曼荼羅なのか。

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