天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第171号

「六郷満山峯入」行を厳修
明年の開山1300年を前に 大分国東半島・六郷満山会

 神仏習合の郷、大分県国東半島にある天台宗寺院で構成する六郷満山会(松本量文会長・長安寺住職)は平成30年に六郷満山開山1300年を迎えるのを記念し、4月2~30日に亘り「六郷満山峯入」行を厳修した。険しい山や谷を踏破する荒行に、大先達の河野英信富貴寺住職、先達の隈井修道行入寺住職を先頭に天台僧21名が参加。今回は記録を頼りに164年ぶりに再興した183カ所の旧霊場を巡り、六郷満山の開祖・仁聞菩薩(にんもんぼさつ)への報恩心を示し、祥当年への決意を新たにした。

 峯入は、仁聞菩薩が厳しい六郷二十八谷を回峰し修行した霊跡を巡拝する行で、斉衡二(855)年に仁聞菩薩から国東半島巡礼の峯道を授けられた僧・能行により始められたとされる。
 その後、復興・中断を経て嘉永六(1853)年を最後に中絶していたが、昭和三十四(1959)年、百六年ぶりに再興された。
 昭和五十四年から、十年毎に行われており近年では平成二十二年に奉修されている。今回は開山一千三百年を記念した行として、初日と結願(けちがん)のみ一般参拝者に開放した。その他の日程中は、僧侶のみ参加の非公開で修行された。
 初日は宇佐神宮で初日神事と採燈護摩供、30日の結願は両子寺(ふたごじ)(寺田豪明住職)で採燈護摩供が河野富貴寺住職を大導師に厳修された。(写真)
 結願の採燈護摩供では、寄せられた多くの護摩木を焚き上げ、出仕僧侶らが人々の所願成就などを祈り、満行への感謝と各記念事業の成功を祈願した。最後に参拝者にお加持を授けた。河野住職は「九州国立博物館で特別展が開かれるなど、来年に向け様々な企画が予定されている。是非足を運んでほしい」と参拝者に呼びかけた。
 国東の人々は野仏や磨崖仏を日々供養してきた。古より変わらない信仰が今も息づく。
 183カ所の霊場巡拝再興は、満山会関係者にとっても、その風土を後世に伝えたいとの願いからだった。
 その再興に尽力した一人が先達を勤めた隈井行入寺住職。前回(平成二十二年)初入峯(にゅうぶ)への心構えとして文献を調べ始めたのをきっかけに、平成二十一年から四年かけて調査・研究を重ねてきた。
 明年へは「一般の方々にも知っていただくと共に、私たちも精進を重ねたい」と意気込んでいる。松本六郷満山会会長も「復興は我々の悲願だった。来年へ弾みをつけた」と喜んだ。
 九州東教区では、この勝縁を祖師先徳鑽仰大法会の報恩事業として位置づけている。 座主猊下による宇佐神宮での法華八講や特別授戒会、一般には九州国立博物館での特別展、様々な催しを開くなど、幅広く一般に周知する意向だ。
 開山一千三百年実行委員長を勤める秋吉文隆宗務所長は「この勝縁に出逢えたことに感謝したい。伝教大師御遠忌を見据え、地方でも宗祖ゆかりの諸行事があれば教区の事業として取り組みたいと考えていた。明年に向けて、大法会事務局とも連携を密にし、準備していきたい」と話している。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「ふだん何を食べているのか言ってごらんなさい、そしてあなたがどんな人だか言ってみせましょう」

ブリア=サヴァラン

 ブリア=サヴァランはフランスの人。18世紀のフランス革命前後に生きた司法官であり、美食家でもあります。食通の本として有名な「美味礼賛」を書いたことで知られています。「ガストロノミー」という言葉がありますが、これは日本では「美食学」と呼ばれ、料理と文化の関係を考察する学問だそうです。現在では、料理を自然科学的観点、科学的、物理的方面から分析し解明することへと学門の幅が広がっているようです。サヴァランはその創始者ともいうべき人です。
 人間は生きていく上で、食べることを欠かすことはできません。また、人は有限の時間を生きるわけですから、永遠に食べ続けることはできません。しかし、仮に80年生きたとしても、一日三食として、8万7千6百回の食事を取ることになります。これを多いとみるか、少ないとみるかは、人によるでしょうし、食べることに対する考え方は、これもまた人それぞれでしょう。
 ジャンクフードや炭酸飲料ばかり口にしている若者はキレやすく、我慢を知らない傾向にあるといわれ、それはカルシウム不足が原因だと、以前に報じられたことがありました。これなど、食べることにあまり意識を払わない例ですが、ほかにも、味覚、嗜好も関係なく、ただ生命を維持する最低限の食事でよい、という人もいます。
 反対に、人間は死に向かって食べているのですから「人生は食卓にあり」と言った人の言も肯(うなず)けます。「食べることをおろそかにしては、人生の何たるかが解らない」というのです。そうなると、その人の生き方、人生観と食事との関係も、無視できないものがあるといえるでしょう。「食べること」をどう思っているのか、何を食べるのか、ということから、その人の性格なり人柄が解るというのも、あながち、乱暴な推理ともいえないでしょう。

鬼手仏心

『ありがとう』のお話

 「ありがとうございま~す」「ありがたいな~」「有難い」‼
 感謝の気持ちを伝える言葉です。たくさん使いたい言葉ですし、世の中で大いに使われてほしい言葉です。それで思い出すのですが、こんな話が若い時にありました。
 「わたしには、わたし自身がいちばん大切。
 あなたには、あなた自身がいちばん大切。
 それはうれしい時でも、悲しい時でも、困っている時でも、幸せな時でも同じです。親兄弟であろうと同じです。世の中の人が、私に、あなたに特別に振り向いてくれなくて当然なんです。あなたに手を貸してくれなくても、それが普通なんです。
 もし振り向いてくれたら、手を差し伸べてくれたなら、微笑んでくれたなら、それはもう大変なことなのです。本当にありがたいことなのです」。
 ある障害者教育施設の先生が、教え子を厳しい現実社会に送り出す際のはなむけの言葉でした。
 先生とともに、それを聞いていた私も涙が出ました。と同時にあらためて思いました。
 人というものは、自分というものが一番大切なんだ、他人を第一とすることは本当に難しい。〈親切とはなかなかにない、有るのが難しい〉ことなんだ。〈有難い〉はそういう言葉なんだ。だからこそ、どんどん使ったらいいと、その時思ったのです。
 このことは私にとって非常に勉強になりました。感謝でした!この先生の言葉に対し、まさに「ありがとうございます」という言葉が自然と出てきました。
 それ以降、時として、自己中心的な思いや考えが起こってきたと気づいたら、あの先生の言葉をあらためて思い出しています。

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