天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第170号

熊本地震犠牲者の慰霊と復興を祈願
被災地、阿蘇市 西巖殿寺で「熊本地震一周忌追悼法要」を営む

今後も、被災地の現状にあった支援が必要に

 昨年4月14、15日に、熊本県熊本地方を震央とする「熊本地震」が発生、熊本、大分の天台宗各寺院や檀信徒にも大きな被害をもたらした。あれから1年。天台宗では、去る4月19日、九州西教区、比叡山延暦寺とともに「熊本地震一周忌追悼法要」を被災地、九州西教区・西巖殿寺において営んだ。法要では、犠牲者の慰霊とともに、被災者が、一日も早く元の生活に戻れるように「復興祈願法要」も併せ行った。被災現地では、まだまだ地震被災の影響が色濃く残っており、天台宗としてもできうる限りの復興支援を行っていく方針である。

 「熊本地震一周忌追悼法要・復興祈願法要」は、19日午後2時より九州西教区熊本部の西巖殿寺(阿蘇市・鷲岡嶺照住職)において、嘉瀬慶文同教区宗務所長を導師に、同教区寺院住職の出仕により執り行われた。
 同法要には被災寺院住職、檀信徒をはじめ、小堀光實天台宗災害対策本部副本部長(延暦寺執行)、阿部昌宏同災害対策本部事務局長(天台宗総務部長)、甘井亮淳天台宗財務部長、藤光俊天台宗宗議会議員ら宗内僧侶も多数参列した。
 熊本地震は、マグニチュード6・5以上の内陸型地震(活断層型)としては、明治18年の観測開始より初めてとなる大地震。熊本・大分両県の住宅被害は約20万棟で、災害関連死を含め、犠牲者は225名を数えている。また、応急仮設住宅に暮らす世帯は、今年3月末で、4千世帯を超えており、自治体が民間賃貸住宅を借り上げる「見なし住宅」にも約1万5千世帯が住む。さらに地元の水産業や観光業へも甚大な被害を与えた。また熊本城をはじめ300件を超える文化財に被害を及ぼすなど、地震による被害総額は最大4・6兆円に上るものと推定されている。
 天台宗でも九州西教区、同東教区で30を超える寺院で被害が出た。法要が執り行われた西巖殿寺も地震発生時には本堂、庫裏が落下物などで散乱し、停電・断水・崖崩れによる交通遮断などの被害があったが、全国からの支援を受ける拠点として活動を続けてきている。
 法要では、導師をつとめた嘉瀬九州西教区宗務所長が「本日、地震の犠牲になられた方の一周忌法要を営まさせていただきました。西巖殿寺の鷲岡住職さんの地震後の支援活動には誠に敬意を表します。我々は一日も早い復興を目指し、今後とも力を注いでいく決意です」と挨拶。
 小堀同対策副本部長も地震当時を振り返りながら、犠牲者の追悼とともに、被災者支援の決意を誓う挨拶を行った。阿部同事務局長は「一宗としても、今後ともできうる限りの支援を継続していく所存です」と支援継続を約束、地元被災地の阿蘇市並びに南阿蘇村に支援寄託金を贈呈した。
 熊本の被災地復興は、未だ途上にある。鉄道も道路も不通のところが依然として残っており、主要交通ルートも回復していない状況である。倒壊家屋の解体撤去も思うように進んでおらず、まだまだ時間がかかる様相だ。
 被災地熊本に対しては、今後とも粘り強い支援が必要となっている。 

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

陽気でいることが、肉体と精神の最上の健康法である

ジョルジュ・サンド

 「笑い」が健康をもたらすことはずっと昔から言われています。旧約聖書にも「心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす」とあります。最近では「笑い」のもたらす影響が科学的にも証明されるようになりました。
 かつて大阪ミナミの演芸場で、ガンや心臓病の人を含む患者に、漫才や新喜劇を見て大笑いをしてもらい、免疫力がどうなるのかを大阪府と岡山県の医師らが共同で実験しました。それによると、3時間大笑いする前と後で血液検査をした結果、ガン細胞を攻撃するナチュラルキラー細胞の数値が低かった人全員が、正常範囲まで値が上がったそうです。
 その効果は、なんと、ガン治療に使われる免疫療法薬による上昇速度よりも早かったそうです。
 また、大阪府立成人病センターは、吉本興業や松竹芸能、米朝事務所などと協力し、漫才や落語を聞いて笑うことによって、ガンに対する免疫が上がるかを調べる実証実験を今年5月から行います。
 どんな結果が出るか気になりますね。
 人は同じ生きるならば、怒りや妬みに悩まされ鬱々と時を過ごすより、笑いや楽しみを見つけて陽気に過ごした方がいいに決まっています。そういう人は多くの人にも慕われます。
 ところが人生はままならなく、どんなに陽気で明るい人でも悲しみに覆われてどうしようもない時もあります。心が悲鳴を上げ、顔もこわばってしまうこともあるでしょう。
 しかし、それでも笑おうとすることが大切だと、心理学者の加藤諦三氏はいいます。笑いというのはもうひと踏ん張りできるエネルギーの象徴なのだと。
 古代哲学者アリストテレスは「人だけが笑う動物である」といいました。そうであれば、笑うこと、陽気であることは、人間に与えられた特権なのかもしれませんね。

鬼手仏心

おだてにも乗れんあほにはなるな

兵庫から出られた、偉大な宗教指導者二人のお話を紹介したい。
 初めは永平寺七十八世宮崎奕保(えきほ)禅師のお話である。禅師は曹洞宗のお方であるが、若い頃臨済宗大徳寺の圓山(まるやま)全提老師に参禅しておられた。そして「おだてにも乗れんあほにはなるな」という言葉をお受け取りになった。
 圓山老師は、その際「今まで自分のものとして温めてきた言葉だけれども、あんたにやった限りはもうあんたのもんやから、わしは一切使わない」と言われたという。 
 それから何十年を経て、前貫首丹羽(にわ)廉芳(れんぽう)禅師の遷化後すぐの、道元禅師御征忌のとき、兵庫県姫路市にある、海久寺の中村天篤(てんとく)和尚にこのお言葉をお渡しになり、同じように、
「あんたにやったからこの言葉は忘れる。この言葉はもうあんたのもんやで」。天篤和尚は、ハイと言わざるを得ないから、
「ありがとうございます。いただきます」。
 その明くる日、和尚は侍局に推戴される。まだ誰にも譲っていないとうかがっているが、使っていただいてかまいませんよと快諾されたので、ここに紹介させていただく。
 次に、山田恵諦座主猊下のお話をさせていただく。山田座主猊下は、私が初めて入寺する事になった寺が、檀徒の無い三十年来無住寺で、とても家族を養えないと尻込みしていると、
「おまえは石橋を叩いて渡るけれども、橋が崩れて落ちても良いではないか。拾ってくれる人もおるじゃろう」つべこべいうなと取り付く島もない。ハイと言わざるを得なかった。
 山田座主と宮崎禅師とは仲が良かった。
 「乗る」と「落ちる」との違いはあるが、対をなす言葉と受け止めている。

ページの先頭へ戻る