天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第149号

広島で戦歿者慰霊法要を厳修

 天台宗では、「世界平和祈りの集い」など、一日も早い世界平和の実現に向けて、様々な取り組みを行ってきた。開宗一千二百年慶讃大法会の記念事業として、三県(広島、鹿児島、沖縄)特別布教が行われた。その一環として、平成十七年に広島で『戦歿者慰霊・世界平和の祈り』法要が執り行われた。同法要は今年で11年目を迎え、去る7月14日に厳修された。特に本年は、戦後70年の記念すべき法要となり、戦争犠牲者の霊前にあらためて不戦の誓いを捧げた。

同法要は、戦争犠牲者および原爆犠牲者の回向と、悲惨な戦争体験や平和の尊さを風化させないために、広島市平和記念公園の原爆供養塔前において奉修されており、今年で11年目を迎えた。
 本年は、戦後70年の節目の年であり、岡山、山陰、四国の三教区と天台宗並びに比叡山延暦寺主催の『終戦七十年天台宗広島平和祈念法要』として執り行われた。
 同日は、午後1時30分過ぎより木ノ下寂俊天台宗宗務総長を導師に、小堀光實延暦寺執行、中村彰恵宗議会副議長、大西栄光四国教区宗務所長、角本尚雄天台宗参務、田中祥順天台宗参務、見上知正山陰教区宗務所長、横山照泰天台宗参務、水尾寂芳延暦寺副執行、葉上観行宗議会議員、永合韶俊宗議会議員、永宗幸信岡山教区宗務所長ならびに、三教区の有志住職を式衆に、法要が厳かに執り行われた。(写真上)
 なお来賓として、木山徳和広島市議会議員、各教区檀信徒らが参列した。
 法要を始めるに当たり、比叡山延暦寺親善大使であり、被爆地広島県出身のシンガーソングライター・森友嵐士氏が、献歌。森友氏は、国歌を朗々と歌い上げ、戦争犠牲者の御霊に捧げた。(写真下)
 また、天台保育連盟所属の幼稚園・保育園児らによって書かれた「平和メッセージ」600通も奉納された。
 法要厳修の後、木ノ下宗務総長は「戦後70年の節目の年に、広島の地で犠牲となられた数多くの方々の慰霊を行うことが出来た。過去の悲惨な体験を忘れず、犠牲者の鎮魂と真の平和を確立するため、今後もこの慰霊と平和希求の法要を続けることが大切である」と挨拶を行った。また主催教区を代表して大西四国教区宗務所長も「この小さな法要が平和を願う大きな祈りとなるよう、今後も行っていきたい」と述べた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

私は所有する物は少なければ少ないほど
いいと考えているのである。
物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、
生きている痕跡をだんだん消しながら、
やがてふっと消えるように
生涯を終ることが出来たら
しあわせだろうと時どき夢想する

「周平独言」  藤沢周平 

 藤沢周平さんの小説は、司馬遼太郎さんのように骨格の大きい本格的歴史物でもなく、また、池波正太郎さんのように欲望や情の色が濃い描写もなく、どこか水彩画をみるような印象です。
 作品に登場する主人公も大方が下級武士であったり、名もない庶民であったりします。世の中の大きな流れに翻弄されながらも、己の思うところを一途に貫く人々の哀歓が静かに読む者の心に染み込みます。
 ですから、藤沢さんは「信長は嫌いだ」と言ってますが、さもありなん、という気がします。藤沢さんが愛する人というのは、無名の庶民、田舎の藩の底辺で暮らす武士、地道に生きる職人や、貧しい浪人達。
 この背景には、自らの苦難に満ちた人生があります。
 山形の農家の六人兄弟の第四子として生まれ、昼間は働きながら、旧制中学の夜間部で学んだ後、師範学校を出て教師になります。その後、結核を発病、上京して療養生活を送ります。退院後は、東京で業界紙の記者をして家庭を持ちますが、子どもを残して妻が二十八歳で夭折(ようせつ)します。
 暗い印象を残す初期の作品には、その辺りの心の翳(かげ)りが滲み出ている気がします。その後の作品には、ユーモアもあり、エンターテイメント溢れる作品も増えていき、一級の時代物小説の大家となります。
 しかし、英雄の生ではなく、幾多の無名の人々の生をいとおしむ心情は、ここに掲げた言葉に凝縮されているのではないでしょうか。清貧の中で、無名人として生を終えることこそが、理想だというのです。

鬼手仏心

若者たちのゆがみ  天台宗一隅を照らす運動総本部長 横山照泰

 今年は戦後七十年。戦争は、敗戦という形で終戦を迎えた。戦後の価値観はそれまでのものとは何もかもが劇的に変わり、当然一人ひとりの生き方にも大きな影響を与えたのである。
 戦後、日本は封建的大家族制から、自由・平等が謳い文句の民主主義へといきなり変貌した。基本的人権といった、個人の人権が尊重されるようになり、社会構造が根底から変わったのである。それ故、戦後まもない時期においては、その社会的混乱は至る所に現れ、社会への影響は大きかった。
 さて、一方、現代日本では、今日におけるIT革命と称する情報手段の変革(高度情報化社会の到来)が、戦後の激変、激動と変わらないくらい我々の生活に影響を与えているのではないだろうか。
 戦後日本の、経済至上主義と管理社会は、表面的には世界を驚嘆させるほどの奇蹟的な発展をもたらしたわけだが、しかし、反面、今日においての高度情報化社会と相俟(あいま)って、子どもや若者にとってはゆがんだ環境を生み出してしまったとはいえないか。これらの発展の煽りが子どもや若者の生態を大きく変え、社会を震撼させる事件を引き起こす要因ともなっているように思うのである。
 昔から、子どもは、親の価値観に反発することで成長してきたのだが、最近、反抗期のない子どもが増えていると聞く。
 好(い)い加減、お互い仮面を被り、良い子振るのをやめてみてはどうだろう。嘘偽りのない子どもであり若者であってほしい、と思うのだが、長くしなる竹には節があるように、人間も、成長と共に世間と抵抗しながら壁を打ち破り、大人へと成長していくのが自然の姿である。
 人間としての、成長に安楽の法門はない。
 大いに反抗しろ!

仏教の散歩道

生物の多様性 ひろさちや

 一九九二年の地球サミットにおいて「生物多様性条約」が採択され、日本を含む一五七カ国がこれに署名し、条約は翌年に発効しました。地球には、未知の種も含めて五百万から一千万種の生物がいると推定されていますが、それがどんどん減少しています。現在、自然状態での生物種の絶滅にくらべて、一千倍以上のスピードで絶滅が進行しており、それに対する対策が必要とされています。
 では、なぜ生物の多様性を守らなければならないのでしょうか?その点に関しては、「生物多様性条約」の前文に、
 《生物の多様性が有する内在的な価値》
 といった言葉があります。ちょっとむずかしい言葉ですが、この「内在的な価値」を守ることが大事だというのですね。
 「価値」というものについては、わたしたちは人間に役に立つものが価値が大きいと考えています。食用になるマグロやサバ、イワシは価値があり、ハマグリやカキなどに害を与えるヒトデには価値がないという考え方です。益虫/害虫といった分類がこれであり、これは「利用価値」といえばよいでしょうか…。
 それに対して「内在的な価値」というのは、その生物が人類にいかなる利益を与えてくれるかに関係なく、その生物が存在していること自体に価値があるといった考え方です。これは「存在価値」と呼んでよいでしょう。そうするとトンボや蝶、蝿も蚊も、すべて「存在価値」があるのです。それが「内在的な価値」です。
 じつは最近、生物学の本を読んでいて、「生物多様性条約」にある「生物の多様性が有する内在的な価値」といった言葉に出会(でくわ)したとき、わたしは『法華経』の「薬草喩品(やくそうゆほん)」の
−三草二木の譬喩(ひゆ)−
 を思い出しました。自然界には、小・中・大の草(三草)と小・大の樹木(二木)があります。そのさまざまな植物が、みんな仏の慈悲をいただいて育っています。『法華経』はそのように言っているのです。
 これは動物や植物の問題だけではありません。人間についても考えなければならない問題です。
 人間について、わたしたちはついつい、あの人は世の中の役に立つから価値が大きい、あまり役に立たないから価値が低いと考えてしまいます。それは、人間を利用価値だけで測っているのです。
 それはよくない−と『法華経』は言っています。利用価値ではなしに、あらゆる人間−善人にも悪人にも、金持ちも貧乏人も、優等生も劣等生も−に内在的な価値がある。わたしたちはその内在的な価値を認めて、その人がいかなる人であれ、あらゆる人を尊重しなければならぬ。『法華経』はそう教えています。それは、生物の多様性を守る考え方に通じますね。

カット・酒谷 加奈

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