伝教大師 最澄

根本中堂

根本中堂

比叡山延暦寺の総本堂であり、もともとのお堂は一乗止観院と呼ばれ、延暦7年(788)に伝教大師によって建立されました。ご本尊の薬師如来は大師が延暦4年(785)に比叡山に入山した際に、東塔北谷虚空蔵尾(とうどうきただにこくうぞうお)にあった霊木(れいぼく)に一刀三礼して自ら刻(きざ)んだと伝えられています。中央にはその時に大師が点じた「不滅の法灯」が、今でも絶えることなく灯され続けています。なお、現在のお堂は元亀の法難の後、寛永19年(1642)に徳川三代将軍家光公の命によって再建されたもので、国宝に指定されています。

法華総持院東塔

法華総持院東塔

伝教大師は護国のため、比叡山東塔、比叡山西塔、上野国(こうずけのくに)、筑前国(ちくぜんのくに)、豊前国(ぶぜんのくに)、下野国(しもつけのくに)の全国六カ所に『法華経』一千巻を納めた宝塔を建立することを計画されました。その中心となるお堂です。大師がお亡くなりになった後、その意志を継いで慈覚大師により創建されました。

戒壇院

戒壇院

伝教大師の悲願であった大乗菩薩戒の授戒が行われているお堂です。現在でも毎年10月に圓頓大戒授戒会が開かれています。大乗戒勅許から五年後の天長4年(827)に義真によって創建されました。本尊には授戒の三師である釈迦牟尼仏、文殊菩薩、弥勒菩薩の三尊が祀られています。

大黒堂

大黒堂

根本中堂創建の頃、伝教大師が感得された大黒天尊で、大師自身が感激してそのお姿を刻んだと伝えられています。その後、大師自作の、大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)の三つのお姿が合わさった三面大黒天の像を弟子の光定(こうじょう)和尚が比叡山守護のためにお祀りしたのが大黒堂のはじめとされ、ここを起点に全国に大黒天の信仰が広まりました。豊臣秀吉はこの大黒天を信仰して全国統一を果たしたとも言われています。

浄土院

浄土院

伝教大師の御廟(ごびょう)であり、比叡山の中でも最も清浄な聖域とされています。慈覚大師によって仁寿4年(854)に建立されました。ここでは侍真僧(じしんそう)と呼ばれる僧侶が、十二年籠山行を行っており、休むことなく大師の御影(みえい)の前に朝・昼の二度の献膳(けんぜん)を行っています。また本尊として大師自刻の阿弥陀如来が祀られています。

釈迦堂

釈迦堂

比叡山西塔の中心のお堂であり、転法輪堂とも呼ばれています。伝教大師の付嘱を受けて承和元年(834)円澄によって創建されました。本尊の釈迦如来は根本中堂の薬師如来、浄土院の阿弥陀如来とともに、伝教大師が虚空蔵尾の霊木を用いて自ら刻まれたと伝えられています。

生源寺

生源寺

山門のかたわらには、「開山伝教大師御誕生地」の碑があり、伝教大師生誕の地として親しまれています。大師の母の実家、あるいは父百枝(ももえ)の私宅であったとも言われています。山門を入って右手には古井戸があり、大師の産湯に用いたと伝えられています。

神宮禅院

神宮禅院

伝教大師の父三津首百枝が、後継を授かることを祈念して、七日間の懺悔(さんげ)の行を修するために草庵(そうあん)を建立したことに始まる場所です。四日目の早朝に芳香(ほうこう)がただようという奇瑞(きずい)があり、大師を授かったことがわかりました。伝教大師は比叡入山の前に、ここで父の不足分の懺悔の行を行い、香炉の中に仏舎利(ぶっしゃり)を感得(かんとく)した後、比叡山に登ったと伝えられています。